Opinion : そんなの "常識" の問題では ? (2007/6/11)
 

ずいぶん昔の話だけれど、某高校の文化祭を見に行ったら、「下駄禁止」という張り紙だったか、規則だったかを見て仰天した記憶がある (確か、下駄を上履きにするな、という内容だったような…)。普通、下駄なんて使わないだろう… と思ったけれど、やる奴がいたから禁止したんだろうなあ、と思い直した。

この件に限らず、規則、あるいは法律・条例・通達とかいう類のモノは、過去に想定していなかったような状況が発生したのを受けて、対策として規定することが多い。となると、某護衛艦の海図台で、鉛筆立てに「鉛筆喰うな」と書いてあったのも同じ ?

このあいだ、ちょいと大きな買い物をしたときに、「さて、代金を振り込もうか」と思ったら、「10 万円以上の振込は ATM では不可、窓口で身分証明書を確認」なんて面倒なことになっていたのを思い出して、結局は現金で渡してしまった。例の "オレオレ詐欺" 対策のせいで、以前はもっと制約が緩かったのは御存知の通り。

既存のルールの抜け穴を突いて悪事を企てる輩がいると、その穴を塞ごうとして法律を改正したり、新しい法律を作ったりする。つまり、悪い奴がいなければ、今よりもずっと法律の数は少なくて済むはずなのだが、なかなかそうはいかないのが世の習い。先週のネタにしたクラスター爆弾にしても、第一次世界大戦の頃にはあんなものは存在しなかったから、規制の必要もなかった。(って、そこに話を飛ばすか ?)

つまり、性善説に立脚して、良心や常識に依存して物事を運ぶことができれば、世の中、あまり窮屈なことにはならない。いや、少なくとも窮屈さの度合を少なくできるのは確かだということ。


なんでこんなことを書いたのかというと、オーマイニュースの記者がやらかした「マクドナルドで何も買わずに無線 LAN 利用」の件があったから。

無線LANサービスの利用を勧誘する Yahoo! のホームページには、月額料金を支払えばホットスポットが使いたい放題のようにうたってある。それなのにマクドナルド店舗でのこの対応はどういうことであろう。

いや、「どういうことであろう」っていわれても。
無線 LAN がどうとかいう以前に、何も注文しないで飲食店のスペースを利用すること自体、常識の範囲からすると逸脱していると思うわけで。飲食店の椅子とテーブルは、そこで何かを注文して食べる人のために存在するのであって、公園のベンチなんかとは性格が違うのだから。

これを書いた某記者は、この件に遭遇して「世の中の不条理を見つけた、これは記事にしなければ !」と張り切ったのかもしれない。でも、そもそも常識から外れたネタとしかいいようがないので、これは不条理でも何でもない。また、それをそのまま載せてしまったオーマイニュースも不見識といわざるを得ない。誰か「これはいくらなんでも変だろう」とブレーキをかける人はいなかったんだろうか ?

オーマイニュース、あまりページビューがいい調子で伸びていないようだから、内容は何でも、とにかくページビューが増えればいい」と思ったのかもしれない。でも、それでは視聴率至上主義の TV 局、部数至上主義の新聞や週刊誌のことをどうこういえないよ ?

こんなことばかりやって、市民記者の評価をどんどん下げて、しまいには市民記者メディアの総倒れを招いても仕方ないんじゃなかろうか。

おっと、話が脱線した。「市民記者メディアの質を高める方法」については、またそのうち別の機会に。


そんなことは常識で分かるはずなのに、というのは、例の "TBS ゴルフ取材事件" にもいえること。一度でもゴルフの TV 中継を見たことがあれば、ショットを打つときにはギャラリーも静かにしていなければならない、なんてことはすぐ分かる。ゴルフをやったことがない私ですら、それぐらい知っている。

だから、そこにヘリコプターを飛ばすなんて非常識極まりない。そんな判断もできないほど、TBS は判断力を喪失した人の集団なんだろうか。マイク云々の件については、もはや常識以前の話で、「お宅の局は、二度と "盗聴法反対" なんていえないぞ」というのが正直な感想。

もっとも、報道局長が自ら「業界の仕事をしたこともない奴が、報道被害だ何だと文句をいうな」といわんばかりの発言をするような局だから、そういう意味でも常識が欠けているのかもしれないけれど。しかも、それを学生向けのリクルート用 Web ページで書くか、普通 ?

TBS、あるいは他局が過去にやらかした騒動も含めて、視聴率欲しさ、スクープ欲しさが優先して常識的判断を喪失しているとしか思えないようなことをやらかすから、過去に何度も書いているように、結果として権力に介入の口実を与えるんじゃないの、というところに落ち着く。


そういえば、借家を借りるときに不動産屋で、契約書の内容や禁止事項についての説明を受けるのはお約束だけれど、あまり細々した話になると「その辺は常識の範囲内で」といってまとめることが多かった。もちろん、その「常識の範囲」が時代とともに変化していくのは避けられないにしても、ある程度、普遍的な原則というものは存在する。そして、その範囲内で物事を判断していれば、とんでもない逸脱は発生しないもの。

ところが、その常識が通じないで、とんでもない逸脱を発生させる人がいるもんだから、禁止事項のリストはどんどん長く、細かいものになり、窮屈な感じが増していく。冒頭で取り上げた法規制なんかの話も同様で、本来なら常識の範囲で判断すれば済むはずのものをいちいち法律や条令にして明文化、罰則まで決めないといけなくなる。

それでいて、禁止事項や法律を細々と決めようとすると文句をいう人はいるもので、それがまた往々にして、とんでもない逸脱の原因になるような人だったりするから始末が悪い。(例 : 規制の原因になるような事件を起こした TV 局が、「報道の自由」を盾に文句をいう)

犯罪なんかは法律の裏付けがないと取り締まれないから仕方ないにしても、それ以外のことまでいちいち、常識による判断ができなくて、いちいち細々と個別に規制しないといけなくなってしまうのはどうだろう。何かというと、細かいところまで規定した分厚い契約書を取り交わし、何かあると裁判沙汰になってロイヤーが大活躍するアメリカのことを、我々が笑える義理ではないと思うのだけれど。

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