Opinion : "万が一の可能性" の過大評価と過小評価 (2007/7/30)
 

少し前、blog のコメ欄で「どうして、核家族化だ少子化だといわれている日本で、それに逆行するかのように、乗車定員が多いミニバンがやたらと売れるんだろう」という話になったことがあった。(当該エントリ)

もちろん、「車内でいろいろできて楽しそう」だとか「空間に余裕があって、特にチャイルドシートを扱うような場面では便利」だとかいう理由も考えられる。ただ、それなら背が高いボディがあれば大部分は解決できる話で、わざわざ荷物用のスペースを削ってまで 3 列目のシートが必要な理由にはなりにくいと思う。

そこで考えだしたのが、「万が一の可能性の過大評価」。つまり「親族が集まるような場面もあるかもしれないし、いざというときにたくさん乗れる方が便利じゃないか」という考えがあるのかも、という仮説。


新聞や TV のニュースではしばしば、「一歩間違えば大惨事」という表現を使う。一歩間違わずに済んだから大惨事にならずに済んだケースもあるんじゃないの、と突っ込んでみたくなるけれど、それはともかく。

「一歩間違えば大惨事」という表現の裏には、これまた「万が一の可能性」という考えがあるんじゃないかと思う。でも、それを突き詰めていくと、それこそ何もできなくなってしまうし、際限なく対策が必要になって収拾がつかなくなるのがお約束。

たとえば、先日の地震では被災地に自動車部品のメーカーがあって、被災に伴う操業停止でパーツの供給が止まってしまった。そのせいで、そのパーツを使う自動車メーカー各社が軒並み、生産停止。そのトバッチリで、せっかく新車を註文したのに納車が遅れそうになっている知人もいる。

この話が出たときに、マスコミ各社は一斉に「リスク管理がなっていない」と叩いた。つまり、特定のメーカーの特定の工場に全面的に依存しているから、地震で操業が止まったときに総倒れになるので、納入元を分散するべきじゃないか、という主張なんだと思う。一見したところでは、正論に見える。いわゆるひとつのセイロン紅茶 (違うってば)。

でも、納入元を分散するといっても、簡単じゃない。同じ会社が工場を分散することになると、生産数量が変わらないのに設備投資は単純計算で 2 倍必要になるわけだから、設備投資を回収するために 2 倍の手間がかかる。結果として商品のコストが上がる可能性が高い。まして別々の会社に分散すれば、さらに多くの手間が発生してコストを押し上げることになりそう。そうなったらきっと、新聞・TV は「コストダウンの努力が足りない」って叩くんじゃなかろうか。

第一、「万が一の可能性」ということをいいだすなら、生産拠点を複数に分散したところで、その複数の拠点が同時に事故や災害に遭う可能性だってあるだろうに。たとえ北海道と九州に分散したところで、どちらも同じ日本列島。地震だって水害だって、はたまた人為的な事故だって起こり得る。突き詰めれば、海外に移転したって同じこと。そもそも、生産拠点を海外に移転すれば、今度は輸送手段にまつわるリスク要因が増える可能性が考えられる。

そんなこんなで。部品の納入を受ける側の自動車メーカーとしては「唯一の納入元が事故や災害などでストップするリスク」と、「納入元を分散することによって発生するコスト上昇」などの要素をいろいろと天秤にかけた上で、単一の納入元に依存する方がマシである、という結論を出したんじゃなかろうか。それを、たまたま被災・操業停止という事態になったときに限って「リスク管理がなっていない」と一方的に叩くのは、外野の勝手な意見とはいえないか。

それに、自動車メーカーのリスク管理をどうこういっている報道各社だって、いつ、我が身に同じような問題が降りかかってこないとも限らない。たとえば、新聞社は全国に何ヶ所かの印刷工場を持っているけれども、それが地震やその他の災害、あるいは事故によって停止したら、かなり広いエリアで新聞が出なくなるか、あるいは他の地域で印刷した分を回すことによる遅配になると思われる。そしたら「我が社はリスク管理がなっていませんでした」って社告を出すんだろうか。

そういえば、新潟中越地震のときに上越新幹線の K25 編成が脱線したら「スピードの追求が良くない。スピードダウンする勇気も必要で云々」なんて趣旨の記事を書いた新聞があった。じゃあ、その新聞社の記者が「スピードを追求した乗り物を使うリスク」を冒さないために在来線の各駅停車で移動しているかといえば、そんなことはなかろうに。


とどのつまり、「万が一の可能性」は考慮しなければならないにしても、対策のために投入できる資金やリソースには限りがあるのだから、どこかで「対策を取り得るのはここまで」といって線を引かざるを得ないはず。

うちでは物書きが商売だから、仕事用の PC を複数台用意して同じようなアプリケーションソフトをセットアップしてあり、それらの間でデータを頻繁に同期している。さらに、それとは別に NAS にもデータを複製しているから、データは実質的に三重系。ここまでやれば、仕事用の PC が故障するような事態になっても、ダウンタイムは最低限で抑えられるはず。

といっても、全部のメカは同じ自宅の中に置いてあるわけだから、自宅が倒壊するような事態になれば全部のメカが失われる可能性は高いし、それによって仕事は止まる。でも、そんな事態になったらそもそも、自分の生命がどうなっているか分からない。だから、自宅の倒壊に備えて遠隔地にデータの複製と予備の PC を配置する、なんてことはしていない (そんな同業者はおそらく、一人もいないだろう)。

もっとも、だからといって反対に「万が一の可能性を考え始めるとキリがないのだから」といって対策を取ることを放棄するのも、それはそれで問題がある。その極めつけが「軍備なんて要らないじゃん」的な主張。しつこいけれども、万が一の可能性は考慮する、でもどこかで線を引く、というのが現実的な落としどころな訳で。

先の例でいうと、誤操作でデータを消してしまい、回復できなくなった経験はあるため。少なくともそういった事態に対する備えはいるだろう、と考えた。そこで、投入できる手間と資金を考慮して、現行の体制に落ち着いた経緯がある。

冒頭で引き合いに出した「3 列シートのミニバン」の件にしても、同様。万が一の可能性に備えるための無駄が多すぎれば、経済的にもよろしくない。特に、このガソリンの高い御時世に。頻繁に 7-8 人も乗せなければならない場面が多いのでなければ、必要なときだけレンタカーを借りるようにして、普段から無駄な 3 列目のシートを持ち歩くのを止めたら ? という趣旨のコメントを頂戴したけれども、全面的に同意。


そもそも、先にも書いたように、「万が一の可能性が」なんてことを考え始めたらきりがない。
家から外に出た途端に暴走車が突っ込んできて昇天するかもしれないし、電車に乗っているときに大地震に見舞われて高架橋が崩落、自分も落下して昇天、なんてことになるかもしれない。海外旅行で飛行機に乗ったら ? 街を歩いてたら通り魔に遭うかもしれないよ ? 外食先で食中毒に遭ったら ? 昨今ではテロに遭う可能性もあるかもよ ? etc, etc... なんて考えているうちに、家の外に一歩も出られなくなってしまう。でもって、自宅に引きこもっていたら今度は、その自宅が地震で崩壊するかもしれないし、家にダンプカーか何かが突っ込んでこないとも限らないし。

こんなことばかりいっていたら際限がなくなるのだから、たいていの人は無意識のうちに、リスクと、それに対抗するための負担を天秤にかけて、適当な落としどころを選んでいるはず。その対策の範囲からこぼれる事例が生じるのは避けられない。これは厳然たる事実だけれども、たまたまそうなったときに、それをつかまえてリスク対策の不備だ何だと一方的に云々するのは、公平なモノの見方とはいえないんじゃないのかなあ。なんてことを考えた次第。

ついでに余談。「ひょっとすると、必要になるかもしれないから」といって、万が一の可能性を考慮して捨てずにとっておいたモノの大半は、その「万が一」の出番を迎えずに、結局は捨てられる可能性が極めて高いと思う :-)

Contents
HOME
Works
Diary
Defence News
Opinion
About

| 記事一覧に戻る | HOME に戻る |