Opinion : 世の中、煽り文句がいっぱい (2007/8/13)
 

「煽り文句」といっても、「喧嘩上等、かかってこいや !」とかなんとか攻撃的な発言をして、来訪者を煽る Web サイトのオーナーの話じゃなくて、もっと幅広い分野の話。ただ、広告なんかまで「煽り文句」に入れてしまうと収拾がつかなくなる可能性もあるので、その辺は、まあ適当に… (おい) とりあえず、世間を何か特定の方向に動かそうとするもの、と考えていただければ。


ある日突然、新聞・TV・著名な評論家の人などが、特定のキーワードを声高に強調するようになることがある。最近だと、たとえば「格差社会」。

でも、冷静に考えてみると、過去の日本がそんな猛烈に平等な世界だったとはいえなくて、程度の差はあれ、なにがしかの格差は存在していた。既得権に乗っかってイイ思いをしていた人も、努力しても這い上がれなかった人も、さまざまな分野で存在していたはず。
みな平等だったはずの共産主義国家ですら、実はさまざまな格差を内包していたのは、今ではよく知られている話。そもそも、本当に「格差ゼロ」を実現するなんて、そりゃ無理だってば。

ところが、最近になって「ワーキングプア」とか「格差社会」とかいう言葉が突如として流行するようになり、TV のニュースか何かで「ネットカフェをネグラにしながら、その日暮らしのバイトか何かで食いつなぐ、ネットカフェ難民」なんてものが取り上げられる。当節流行りの捏造でなければ、なるほどそういう人は存在するのだろうけれど。でも、「TV でやっていた = それが多数派である」とは限らない。

でもって、そういうネタが喧伝されると、それにのっかって「政府・与党の悪口をいうためなら、ネタは選ばない」という類の人がワラワラと、この手のキーワードにダボハゼのように食いついて拡大再生産を始める。しまいには、喧伝されるキーワード本来の趣旨から完璧に逸脱してしまい、学力テストの学校別成績を公表するのまで「格差社会だ」と主張する、アッチョンブリケでスットコドッコイな人も出現する。

現実問題としては、当たり前のことはニュースにならない。十数年前なら、企業が Web サイトを開設しただけでニュースになったけれど、当節では「Web サイトを開設しました」なんてプレスリリースを流したら笑われてしまう。少し前だと「有名人の blog 開設」、もうちょっと最近だと「ネットサービス企業の API 公開」とかなんとか。これらもそのうち、ニュースにならない日が来る。当たり前になったか、廃れたかのどちらかで。

似たような話としては「○○社の△△製品を××社が導入」というニュースもある。そういうのは基本的に、珍しいからニュースになるんで、当たり前のことになったらニュースバリューはゼロ。珍しくもなんともなさそうなネタが新聞・雑誌に出てくるのは、往々にして記事体広告だったりする。

そういう意味では、「2.0」という数字をくっつけて宣伝攻勢をかけるのは、そろそろ流行遅れの感がある。こういうのは、話題になり始めたばかりの、物珍しくてクールでフレッシュな印象があるうちにやらないと。ねぇ。

そんな調子だから、世間一般で喧伝されている話が、本当に多数派なのか、メジャーな事例なのかは、いったん立ち止まって検討した方がいいのかもしれない。そもそも世の中、声がデカい奴が正しい、あるいは声がデカい奴が多数派だとは限らないのだから。


煽り文句といえば、「○○に乗り遅れるな」とか「△△が××を変える !」とかいう類のものもお約束。ビジネス書のタイトルなんか、この手のやつがすごく多いような印象を受ける。あの業界は、刺激的なタイトルを付けて短期間で一気に売り切ってナンボだから、仕方ないといえばその通りなんだけど…
そういえば、NTT 株を初めて売り出したときに「NTT 株が大化けする」とかなんとかいう内容の本を出した人がいたけれど、その後に現実がどうなったかといえば (以下自主規制)

ところが、たとえば「バスに乗り遅れるな」といって煽っていたものが、実は故障しそうなバスだった、なんていうことはチョイチョイある (例 : 三国同盟)。「△△が××を変える !」と煽ってはみたものの、大して変わりませんでした。あるいは変化は忘れられた頃になってひそやかにやってきました。なんて類の話もいっぱいある (後者の例 : XML)。

それに、特に新聞・TV・週刊誌の類は「上げては落とす」のがお約束だから、さんざ持ち上げていたものを、何かのきっかけで掌を返したように叩き始めるもの。ということは、いきなりマスメディアの寵児と化して取材殺到、礼賛報道三昧、なんてことになったら、きっと後で落とされると思った方がいいのかも。最近の例だと、「V 字回復」で持ち上げられたと思ったら、昨今では「神話崩壊」といって叩かれている、日産のカルロス・ゴーン氏が典型例か。まったく気の毒な話。

あと、何か「敵」をひとつ決めると、その「敵」に対抗する勢力をとにかく無条件にあらゆる手段で持ち上げて、同じことをやっても「敵」だと袋叩き、「対抗勢力」だとスルー、なんていうのもよくある話。これも、対抗勢力をフィーチャーするための、一種の「煽り」といえる。でも、これだって「上げては落とすの法則」と無縁だとはいいきれない。

とりあえず、自分が書くものについては「△△が××を変える !」というタイトルだけは付けないようにしようと、改めて思った。そんなタイトルの本を出したら、末代までの恥さらしになってしまう (そりゃ大袈裟すぎる)


ただし現実問題としては、何でもかんでも「煽り」だといってまとめて拒絶するのも、ちと無理のある話。たとえば、商品広告なんかも広義の「煽り」ではあるけれど、それは商品が気に入るかどうかを個々人が判断して決めれば済む話。洋服の流行なんかも「発生する」というより「仕掛けられている」部分があるのは周知の通りだけれど、これはまあ、特に罪はないし。

とはいえ、物事は程度問題。ある日突然、新聞・TV・週刊誌、あるいは特定の組織や利害関係者が新聞・TV に出まくって、右向け右 (いや、左向け左でもいいけど) で同じネタを繰り返し取り上げて大声を出すようなことになると、それは要注意現象で、「ちょっと待てよ」と思うべきなのかも。

あるいは、どう見ても流行っていないのに「話題沸騰」「人気殺到」「時代に乗り遅れるな」と宣伝しまくる商品やサービスも同様かと。いや、具体的に何のことだとはいわないけれど。

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