Opinion : 一歩退いて眺めてみると… (2007/8/27)
 

先週の JDW で取り上げていた特集記事は、米空軍が進めている代替燃料構想に関連する動きに関するまとめ。毎度のことながら、「BRIEFING」として取り上げる記事の内容の大半は既知のものだけれども、通常は「ニュース」としてバラバラに流れてくる話をひとまとめにして見られるので、けっこう便利。

そこで面白かったのが、米空軍では海外から輸入する石油燃料への依存度を減らそうとしているだけでなく、CO2 排出削減も考えているという話。ところが、CO2 排出のために代替燃料のテストをしてみたら、実は代替燃料を作るための CO2 排出が却って多くなってしまい、トータルでは削減にならない。でも、今後の技術開発で解決できるかもね、という状況らしい。

それに、代替燃料といえども原材料や加工のためのコストはかかるわけだから、それが現状の石油燃料と比べてどうか、ということも考えないと意味がなくなる。燃料代節減のために代替燃料を入れるはずなのに、代替燃料の方が高くなったら本末転倒。
ただし、絶対的な価格以外のメリット、つまり安定供給が可能かどうかとか、将来的に製造価格を引き下げられる目処があるのかどうか、というところまで考えることも必要ではあるけれど。


この手の、「節約したつもりが節約になってない」「節減したつもりが節減になってない」というのは、案外と身近なところでもよくある話。

たとえば、ちょっと離れたところのスーパーで特売をやっているというので駆けつけたのはいいけれど、特売品を買うことで節減できた金額よりも、そこまで行き来するための交通費や、行き来するために費やした時間の方が高くついた、という類の話。交通費のような可視コストだけでなく、「自分時給」の考え方も必要になってくる。

こんな調子だから、目先の出費 (イニシャルコストと言い換えてもいい) だけを気にしていると、実はトータルでは損してることって、いろいろあるんだろうなと。逆に、トータルで安くつくと思って高いイニシャルコストを甘受したら、思惑が外れてトータルで馬鹿高になっちゃった、なんていう事例もありそう。

ただ、同じように失敗するのでも、「最初から予想できるはずなのに、それを承知で強行して失敗する」のと、「最初の予想が外れたせいで、結果として失敗する」のとでは、大差があると思う。後者の場合には、「次善の策」や「保険」を用意することでダメージを抑えられるけれども、前者の場合には救いようがない。


この手の話題を突き詰めると、取り組んでいる目の前のテーマに集中してしまい、背景や周辺事情、カウンターオピニオンまで目配りできなくなる、ということなのかなと考えた。さらにそれが深度化すると、自分の考えと合わない話はとにかく全否定、あるいは「アーアーきこえなーい」ということになってしまう。

写真の世界では、構図を決めたところで「もう一歩踏み込んでみる」なんてことをいうし、実際、これをやると結果がガラッと変わることがチョイチョイある。逆に、「もう一歩退いて背景を取り入れてみる」とか「立ち位置を変えてみる」とかいう場合でも同様。写真に限らず、他の世界でも同じようなことはあるんじゃないかと。

仕事でも趣味でもなんでも、自分が抱えている目の前の課題だとか、自分が強い思い入れを持っている対象だとかにのめり込みすぎると、背景や周辺の事情が見えなくなって視野狭窄 & 猪突猛進、ときには大間違いをやらかすということ。先の例でいうと、「同じモノを安く買う」ことだけを意識してしまい、そのためのコストに関する意識が抜け落ちてしまっている。

もちろん、実際にそうなる人と、そうならない人がいる。対象から一歩退いて、周辺まで眺められるかどうかという問題。

たとえば、IT と企業情報システムの関係。IT とは手段であって、それを使って構築する情報システムはビジネスを効率よく推進するのを支援する手段。なんだけれども、そこで勘違いする人が現れると、本来の目的そっちのけで最新のテクノロジーを持ち込むことにこだわってみたり、ソースコードの美しさにこだわってみたりする。最新のテクノロジーが問題解決に役立つならどんどん導入すればいいけれど、最新のテクノロジーを導入すること自体を目的にしちゃうのってどうよ、と。

だから、最近だと「企業情報システムにおける Web 2.0 がなんたらかんたら」なんて記事を見かけるけれども、「情報システムとは経営効率化の道具」という背景事情を忘れて「Web 2.0 化」にこだわると本末転倒。本来の目的はそっちじゃない。

早い話が「専門馬鹿」になっちゃ駄目よ、ということかもしれない。つまり、専門分野について詳しくなるのはいいとしても、専門分野のことしか知らないのはどうよ、という意味。

そういえば、米内光政海相が戦後に聯合軍関係者に対して、陸軍と海軍の士官教育の違いについて似たようなことを話していたと聞く。陸軍は幼年学校から延々と戦争のことばかり教えるけれども、海軍はもっと視野の広い教育をやってました、という趣旨の話。実際、それで海軍士官が視野の広い人物ばかりになったかというと、ちと疑問ではあるけれど。


思うに、掲げている、あるいは信じている理想がものすごく高いところにあって現実から遠く、なのに、それが実現できないといってヒステリー気味になってしまうような人は、この手の罠にはまりやすい傾向が強そう。

理想が遠いところにあれば、それを実現するには時間がかかる。これ当然。そこで理想が直ちに実現しなければならないといって、己の理想に反する (または反していそうな) 対象に対してむやみに攻撃的になってしまい、結果としてますます理想を遠ざけてしまう、なんて話は実際にある。それは結局、自分が信じる理想を絶対的不可侵な存在にしてしまい、それ以外のものが見えなくなるから。

とはいっても、何かに夢中になって取り組んでいると、そこで一歩立ち止まって退いてみて、「待てよ ?」と点検するのは簡単じゃない。せめて、そういう意識を忘れないようにしないとなあと思った。

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