Opinion : "一国平和主義" の終焉 (2008/1/21)
 

この話、自分の頭の中ではとっくの昔に終わっているのだけれど、再確認という意味で書いてみようかと。過去の記事で書いた話とダブる部分もありそうだけれど、そこのところは御容赦を。


とりあえず、これを書いておかないと突っ込んでくる人が出そうなので、まずは「非武装中立」を排除する理由を再確認。

個人的に、政治・経済・軍事は国家が生存していく上でのトライアドだと思っている。食う寝るところに住むところをどうにかするには、経済力が必要。その経済力をスムーズに回していくためには、政治力が必要。また、経済力を持続させる際には往々にして他国との利害対立が発生するけれども、それを解決するためにも政治力が必要。それだけでなく、政治力の背景、ならびに保険としての軍事力も必要。

え、「話し合いで解決するべきです」? その話し合いが決裂しないという保証はないのかと訊いてみたい。逆にいえば、「決裂すれば面倒なことになるぞ」という意味での抑止力として、話し合いを決裂させないためにも軍事力が必要、といえるんじゃないかと思う。

また、「今の日本に軍事力を必要とする状況があるとは思えない」という主張についても反論しておくと、その状況が未来永劫に渡って持続するという保証はどこにあるのかと。周辺国がどういう動きをするかは、タイムマシンで未来を覗きでもしない限りは分からない。もしも、将来的に軍事力を必要とする状況になってから、慌てて対応しようとしても無理。

「北欧空戦史」(中山雅洋著、学研 M 文庫) なんかを読んでみると分かるけれども、いざ火の粉が降りかかってきてから慌てて対応しようとしても、簡単には話が進まない。ましてや、WWII の時代よりも高度化・複雑化した現在の軍事力ならなおのこと。何もないところから、人を集めて組織を作って、訓練を施して、さらにそれを持続させるための教育体制を整えて、後方支援体制を整備して… と、必要なタスクは掃いて捨てるほどある。それをいきなり、何もないところから自力で作り上げるのは不可能。平素から準備しておくしかない。

最近では、MPRI 社に代表されるような訓練・助言系 PMF (Private Military Firm) の力を借りて同様のことを進めようとする事例もあるけれど、その PMF を恒久的にアテにしていいのか、という問題がある。スタートアップで PMF の力を借りるのはアリだとしても、いずれは自立できる体制を作らなければ、結局は同じこと。

だから、「いざというときに備える保険」としての軍事力整備は、規模の大小はともかく、持続的に行っておかないと厄介なことになると思われる。


では、武装中立路線はどうか。この手の国の代表例としてはスウェーデンやスイスが挙げられるけれども、それはそれで問題が顕在化してきていると思われる。特に装備面で。

相対的に装備品の内容がシンプルだった昔ならいざしらず、ウェポン・システムが高度化・複雑化して、開発にも調達にも多額の時間とカネがかかる状況になってきているから、それを全部自力でやるのは不可能になりつつある。また、既存の装備を新装備で代替する際に、一対一でリプレースして同等の数的規模を維持するのも、これまた不可能になっている。

実際、AFV でも戦闘用機でも艦艇でも、どこの国もおしなべて、昔と比べると数的には減勢している。質的な向上でそれを補っているのだ、といっても「戦争は数だよ、兄貴」というのもまた真実。どんなに優秀な戦闘機でも 1 機だけで永遠に在空できるわけではないし、搭載した兵装を撃ち尽くせば仕事ができなくなる。第一線で使う分ですら一度に全機を出すことはできない (予備を残しておかないと配備に穴が開く) し、さらに教育訓練用や減耗予備も要る。

ところが、自国の経済力で支えられる軍事力には限りがあるから、新装備への代替に際して数を揃えようとすると質が落ちる、質を維持しようとすると数が揃わない、というところで両者のバランスを取らなければならない。基本的には質を優先するのが昨今の流れだから、必然的に「質は足りているが数が足りない」というケースが増える。米空軍で F-15 の縦通材問題が発生しているけれども、だからといって手持ちの F-15 を F-22A で 1:1 代替するのは、経済的に無理。

でも、軍事力の強弱とは相対的な問題だから、敵対勢力が手持ちの戦力より数的に優勢なら、何か手持ちの戦力を増やす手が必要になる。
そこで、アフガニスタンにおける ISAF のように多国籍の共同作戦で数を揃える、NATO の SALIS 構想に代表されるように所要の装備を多国間でプールする、F-35 や Typhoon のように開発・調達を多国籍化する、といった流れになってくる。多国籍プロジェクトでは往々にして「船頭多くして船がなんとやら」な状況になりやすいけれども、だからといって単独行動に戻れるかというと、主として経済的な理由で難しい場合が多いのではないか。

現実問題として、過去にはとことん自主開発・独立路線だったスウェーデンですら、Gripen のエンジンや兵装はアメリカ製、対外輸出で数を稼ぎ、しかもその際には BAE Systems の手を借りる、なんてことになってきている。オーストリアの Steyr-Daimler-Puch Spezialfahrzeug 社やスイスの MOWAG 社は米 General Dynamics 社の傘下に入ってしまっている。こんなところでも、なにげにグローバル化しているのが実情。完全な自給自足・自主独立なんて、どこも達成していない。


つまり、この業界では何事も多国籍共同で動かないと話が進まない状況になりつつあるし、そうなってくると平素から「利害が近い同盟国との間で、give & take の関係を持続させる」ことが重要になってくるはず。普段は放置プレイにしておいて、困ったときだけ「助けてください」ではムシがよすぎる。

もちろん、だからといって自国で実現不可能、あるいは実現困難な話を give するべきだとはいわないけれども、自国でできる範囲で give することが、後に take する必要を満たさなければならない事態への備えになるんじゃないの。なんてことを考えてみた次第。たとえば、そういう観点からインド洋給油問題を眺めてみることも、必要なのではないかなあと。

そんな次第で、「とにかく自国が平和でいられれば」という一国平和主義的考え方は、もう終わったんじゃないかと。そもそも、世界各国が互いに経済的・政治的に関わりを持って動いているのに、自分一人が "いい子" でいようという考えそのものが、ちと調子がよすぎるのでは ?

そもそも「中立」とは「誰にも味方しない」ということなのだから、裏を返せば「誰も味方してくれない」ということでもある。となれば、何があっても全部を自分で面倒見ないといけない。それは不可能になってきているんじゃないの、ということ。リスクは皆で分担する、という流れを止めるのは無理だと思うのだけれど、どうか。

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