Opinion : 精神論では事故は防げない (2008/2/25)
 

「この国の社会 (というよりも、その中の一部かもしれないけれど) は進歩してないなあ、学習能力がないなあ」と思うのは、何か事故やトラブルがあったときに、すぐ「たるんでる」とかなんとかいって精神論に落とし込もうとしたり、「責任者出てこい」といって吊し上げモードに入ってしまったりするとき。

緊張を保ってないで「たるんでる」から、事故やトラブルを起こすんじゃないか、という考えに拠るのだとしたら、それは大間違い。そもそも人間はミスをする可能性があるのだから、それをどうやって防止するか、そのためのシステムをどう構築するか、という方向に話を持って行くのが筋だろうに。

「責任者出てこい」にしても同じ。だいぶ前に書いたことの繰り返しになってしまうけれど、責任者 (たいていの場合、組織のトップ) を記者会見に引っ張り出して頭を下げさせたり、辞任させたりすれば、同じような事故やトラブルの再発を防げるとでもいうのだろうか。ばかばかしい。

同じ辞めるのでも、針のむしろの上で事故再発防止の対策やシステム作りを手掛けて、それを見届けた上で進退を決めるという方が、よほど筋が通っていると思うのだけれど。いわんや、責任者の吊し上げを政争の具にするなんて、論外のそのまた外。


「たるんでる」というと思い出すのが、1972 年に発生した日航機モスクワ墜落事故。この事故では、墜落した DC-8-62 のコックピットにおけるやりとりの中に「ハイヨ」「やっこらさ」「すみません」といったやりとりがあって、それが「日航叩き」の原因になったらしい。

別に、操縦桿を引くのに「やっこらさ」と掛け声をかけると墜落するような飛行機を McDonnel Douglas 社が作ったわけではないのだから、その掛け声をネタにして「たるんでる」と非難したところで、事故再発の役には立たない。墜落に至った原因を追及した上で、同じことを再発させないためのシステム、あるいはバックアップ装置を作るのが、本来の事故原因調査だし、事故再発防止であるはずなのに。

JR 西日本の福知山線脱線事故の後で、次から次へと「○○線でオーバーラン」というニュースが報じられたことがあった。別に、あの事故の後だけオーバーランが急に増えたわけではあるまい。ただ単に、福知山線事故で「オーバーラン」が注目されたもんだから、鵜の目鷹の目でオーバーランの事例を探してきて、ぶつけただけじゃないの ? そんなことやって、脱線事故やオーバーランの再発防止になると思ってるの ? あほくさ。

なんて書くと、「いや、そうやって厳しい目に晒されてると思えば、緊張してオーバーランを起こさなくなるはずだ」という言い訳が出てくるかもしれない。でも、それこそがもっとも忌避すべき精神論というもの。本気でそんな寝言を信じ込んでいるのだとしたら、とっとと考え直していただきたい。

米海空軍がベトナム戦争で多数のパイロットを犠牲にしたときに、データを徹底的に調べ上げて「格闘戦を軽視していたことの反省」とか「より実戦的な訓練の必要性」とかいった教訓を導き出したのとは、えらい違いだ。
実戦のデータと真摯に向き合って、本当の原因を突き詰めることができたからこそ、Top Gun みたいなアドバーサリー/アグレッサー飛行隊を創設してリアルな空戦訓練でしごきあげる体制、あるいは Red Flag 演習で実戦並みの環境を体験させる体制を作り上げられたのだし、それが湾岸戦争などで真価を発揮した。こうでなくては。

もしも、これを精神論で片付けてしまう風土があったら、どうなっただろう。「新米でもベテランでも、最初の 10 回以内の出撃で落とされる確率が高い」というデータがあったときに、単に「たるんで警戒を怠ってたんだろ」で済ませてしまったのでは、事態の改善にならない。そして、貴重なパイロットをますます死地に送り込む結果になっていたのではなかろうか。


過去に何回か原稿に書いた台詞で「同じことを 3 回繰り返したら自動化を考える」というのがある。実際、最初は手作業で始めてみて、それを後から自動化したり、ツール任せにしたりした事例が、自分の身辺には幾つもある。それはなぜかといえば、手作業だと操作を忘れる、あるいはミスする可能性があるけれども、自動化すればそうした事態を回避しやすくなるから。

個人レベルとしては偏執狂的といっていいぐらいのデータ保全体制を作っているのも、背景は同じ。間違ってデータを消す、あるいは壊す可能性は常に存在するのだから、あらゆるデータを冗長化するべし、その作業はミスしないように自動化するべし、という考え方。さらに冗長化の手順も決めておいて、逸脱によってミスが入り込む可能性を減らす。実際、決められた手順から逸脱したせいで事故やトラブルを引き起こした事例は、どこの業界にも多々あるわけだし。

もちろん、ドジを踏まないように緊張感を保つことも重要だけれど、生身の人間がやることだから完璧はない。だったら、完璧ではないことを前提にして、それをシステムで補うのが筋ってものじゃないのかなあと。

ただ、事故やトラブル、災害の類っていうのは「意地悪婆さん」みたいなもので、想定もしていなかったような間隙を突いて発生することが少なくない。となれば、どうして間隙を突かれたのか、どうすれば対応できるか、を考えなければ同じことの繰り返し。そこで「たるんでる」とか「緊張感を保て」とかいって精神論に落とし込んだところで、本質的な解決にはならない。

ましてや、事故でもトラブルでも災害でも、「画」になる映像ばかりをかき集めて「これでもか、これでもか」とばかりに流しまくって感情論に訴えたところで、同じ事態の再発防止には、まったく役に立たないと思うのだけれど。

事故・トラブル・災害の報道って、何のためにやるんだろう。そのことをもう一度、根底から見直した方がいいんじゃないかと。それが嫌なら、「社会の木鐸」とか「知る権利」とかいう美辞麗句はかなぐり捨てて、「部数や視聴率を上げるためなら何でもやります、文句あっか。やったこともない人にあれこれいわれるのは、個人的にはしんどいなあ」というぐらいに開き直ってみてはどうか。

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