Opinion : 正しいことって、どれくらい正しいんだろう ? (2008/3/24)
 

激しく意味不明なタイトルだといわれそうだけれど、とりあえず最後まで目を通してみていただけると嬉しい。


世の中、至るところで「○○は正しい」「○○は間違ってる」、あるいは「○○は真実だ」「○○は真実ではない」という類の議論をやっている。最近だと、チベットを巡る情勢なんかが典型例。発端となった出来事は何なのか、現地で何が起きているのか、人民解放軍は投入されたのか、されていないのか、犠牲者はどれくらいなのか。

この件に限らず、特に政治や歴史が絡む問題だと、受け取る側の立場や経験、思想信条などが絡んでくるから、同じ事象に対して正反対の解釈や判断が出てくる、なんてことは日常茶飯事。歴史がらみでは、ある時点で正しいとされてきた話が、後になって「新事実」が出てきたせいでひっくり返った、なんて類の話はいろいろある。

それどころか、正しいかどうか、真実かどうかの判断基準が明快だと思われているサイエンスの世界ですら、それまで真実とされてきたことがある日突然、コロリとひっくり返ることがある。だから、冥王星が突如として太陽系の惑星から外されたりする。

あまり例えとしては良くないかも知れないけれど、「1 + 1」という計算式。これの答えは「2」で間違いないだろー… というのは、あくまで「10 進法で計算している」という暗黙の前提条件があっての話。もしも 2 進法で計算していれば、答えは「2」じゃなくて「10」になってしまう。と、これはちょっと無茶苦茶すぎたか。

そこで「1 + 1 =」の答えは「田んぼの田」なんていわないように :-)

それで何がいいたいのかというと、「正しい vs 正しくない」「真実 vs 間違ってる」といった議論はそもそも、なにがしかの判断基準や前提条件があって、それに依拠して決まるもの。だから、その判断基準や前提条件に変化があれば結論が変わってしまうケースが、案外とあるんじゃないかなあということ。


そもそも、同じ物事であっても、ソースや受け手の立場が変われば結論や解釈が変わる。チベットの件についていえば、中国政府の立場に沿った「真実」があれば、ダライ・ラマの立場に沿った「真実」もある。他の物事でも同じで、たとえばイラクで発生している騒擾についても、在イラク聯合軍 (MNF-I) の立場に沿った「真実」があれば、アルカイダの立場に沿った「真実」もある。

当サイトの「今週の軍事関連ニュース」で、米軍が内輪向けに配信している MNF-I のプレスリリースを要約して載せているけれども、あれはなにも、MNF-I の言い分が正しいんだ、といいたくて載せているわけではない。あれは、「MNF-I なりの真実はこういうことだそうだ」という、いわばデータのひとつという考えがあって載せている。どこまで本当なのか、あるいはガセネタなのかはともかく、MNF-I の動きや考え方、あるいは MNF-I が何を伝えたいのかを知る材料にはなるだろうし。

表立っては書いていないけれど、この内輪向け配信、以前と比べると内容に違いが出てきているので、これはひょっとすると… と推測していることがある。ただ、単なる個人的推測に過ぎないし、本題からは外れてしまうので、ここでは触れない。

そもそも、当事者がいってることだから正しい、なんていいだした日には、アルカイダがいってることだって正しくなってしまう。そうなったら、まるで正反対の「真実」がふたつできてしまう。それは変だ。

チベットの件にしても、新華社が流す内容がすべて正しくて、それ以外の情報はバイアスがかかった嘘っぱちばかりだ… といいきれるものだろうか。少なくとも、新華社が流す内容を真に受けていない人は少なからず存在している。そもそも、国家によるメディア統制が行き渡っている国の、それも国営公式メディアであれば、その国の体制にとっての真実しか流さないのではないか、という考え方にも理はある。

統制がない、あるいは少ない場合でも、立場や利害関係次第で報道の内容にバイアスがかかることはあるのだから、統制が厳しければなおのこと。と思われても無理はない。いや、そもそもこうした考え方にもバイアスがかかっていて (以下無限ループ)

これは逆の立場についてもいえることで、中国政府に反対する立場から流される情報であれば、内容についても真っ向から対立するものになりがち、と考えるのは自然なこと。結局のところ、先の「MNF-I vs アルカイダ」と同じ構図。

新華社が報じる内容の真贋はともかく、海外メディアなどをシャットアウトしていること自体、ひとつの "仕草" なのではないか、という考え方も可能。報じていることではなく、報じていないことが重要、という考え方だってある。

当事者がいってることだから正しい、といいきれない事例なんて、それこそなんぼでもある。たとえば、Lockheed Martin 社のプレスリリースだけ見ていると、F-35 Lightning II の開発はえらく順調に進んでいるように見える。その通りなら、いきなり半年も飛行試験が止まったりしないし、GAO (Government Accountability Office) が毎年のように F-35 計画の進捗に関して調査報告を出す必要もなくなってしまう。

じゃあ、批判派がいうことが正しいのか。実のところ、コスト超過やスケジュール遅延でグダグダになったプロジェクトは幾つもあるし、そこから這い上がってモノになったプロジェクトも現実に存在する。だから、現時点での批判が将来も通用するかどうかは分からない。結局のところ、推進したい人も、批判したい人も、都合の良さそうな話を拾い集めてきて論拠としている、というのが実情なのでは。

MD なんか典型例で、「あんなのはモノになるはずがない」といわれていたのが、最近ではなにやら要撃試験の成功率が上がってきている。すると反対派としては面白くないから「あれはインチキだ」とかなんとかいいだして、関係者は反論する。結局のところ、実戦を経験しないとなんともいえないわけだけれど、そうならないのが最善なわけで、そこが兵器開発の難しいところ。

他の製品でも、似たような話はいろいろあると思う。往々にして、推進派と反対派がやりあっているうちにテクノロジーのブレークスルーや新しい発想の導入なんかがあって、それまで不可能だとされてきたことが可能になっちゃったりする。すると、過去に真実とされてきた話がひっくり返る。


だから、現時点で「正しい」「真実である」とされていることだって、いつ逆転するかも知れない。世の中、そう簡単に「○」と「×」を分けられるもんじゃなくて、もっと複雑で曖昧で不安定なモノだし、その曖昧さと程々に折り合いを付けて付き合っていかないといけなんじゃないのかなあ… なんてことを考えている今日この頃。

逆に、真贋や正邪をあまりにもスッパリと断言してしまうとか、100% vs 0% みたいな思考に陥るのは、けっこう危険なことなのかも。現実問題としては、「一刀両断」「バッサリ」「メッタ切り」みたいなタイトルを付ける方が、人気が出やすい傾向はあるにしても。

ただ、こんな風に考え始めると、収拾がつかなくなって不安感に苛まれて、夜も眠れなくなりそう。

Contents
HOME
Works
Diary
Defence News
Opinion
About

| 記事一覧に戻る | HOME に戻る |