Opinion : ネット規制論議について思ったこと (2008/4/28)
 

携帯電話がらみのフィルタリングを初めとして、「ネット規制」に対する論議が騒々しい。賛成派・反対派のそれぞれに言い分はあるわけだけれども、それとは別に個人的に思ったことについて、とりあえずまとめてみようかなと思った次第。ちと、まとまりのない内容になってしまったかも知れない。


そもそも根本には、ネット上に存在するさまざまな情報の中には未成年者にとって好ましくないものがあり、それに対して自由にアクセスできてしまうのは問題だ、という考えがあるのだと理解している。

早い話が、かつて街頭に設置してあった「白ポスト」みたいなもんで、「白ポスト」では有害図書を回収することで目に触れないようにする、でもデジタル情報の回収は難しいからネットではフィルタリングする、って考えになったのだろうなと。つまり、これは「ネット版白ポスト」的発想である、なんて書いたら怒られるだろうか。

白ポストでもネットでも、何が有害で何が有害でないかの判断がキモであり、そして喧々囂々の議論になりそうなところ。

ただ、キーワードを使う方法だと絶対にすり抜けを図る奴は出てくる。たとえば、「核兵器」を NG ワードにしても「木亥兵器」って書けばすり抜けてしまう。それに対してフィルタを増やすと、またいたちごっこ。かといって、サイトを個別に登録する方法ではきりがない。となると、現実問題として、フィルタリングがどこまでまともに機能するのか、個人的にはかなり疑問。

ただ、そういう話より先に考えてみたいことがあるんじゃないかなー、とも思う次第なので、それについて書いてみようかと。


そもそも「サイバースペース」とか「仮想空間」とかいわれるけれども、前者はまあいい。でも、インターネットでもかつてのパソ通でも、「仮想空間」なんだろうか。Microsoft Bookshelf で調べてみたら、「virtual」という言葉には「表面上はそうではないが、実際には○○である」という意味があるのだそうだ。ふーむ。

もっともポピュラーな用途、つまりコミュニケーションの場として考えた場合、リアルとネットでは、単にコミュニケーションに使う手段が違うだけだと思っている。顔を突き合わせて話をするか、通信回線越しにビット列と化した文字列 (最近だと音声や動画もあるか) をやりとりするかという違い。どっちにしても、向こう側に生身の人間がいるのは同じであって、これを「表面上は人間ではないけれども、実際には人間である」と書くのは、あまり正しくないんじゃないかと。

実際には、生身の人間なのに人工無能みたいな受け答えばかりしている人に遭遇することもある。でも、そんなレアケースを引き合いに出してもしょうがない。それに、回線の向こう側に生身の人間がいるという事実は変わらない。文字のやりとりでも、音声や動画のやりとりでも、あるいは超重い富士通ハビタット Second Life みたいな仕掛けでも同じ。だから、リアルワールドで起きることの大半は、ネット社会でも起きる。恋愛も詐欺も不倫もその他諸々も。

じゃあ、両者はまったく同一かというとそうではなくて、リアルワールドに固有の問題、ネットに固有の問題がある。ネットの場合、文字だけでやりとりすることに起因する意思疎通の失敗とか、やりとりがフレーム化しやすいとか、コピペによって情報がワッと伝搬するとか。あと、インターネットでは回線が全世界に通じていることに起因する利点・問題点がある。リアルワールドだって完全無欠じゃなくて、なにがしかの問題はあると思う。


それで何をいいたいのかというと、有害情報の規制とかいう個別マターの話とは別に、子供のうちから、いやそれだからこそ、ネットとの、いや世間に出回っているさまざまな情報との、正しい付き合い方を教える必要があるんじゃないかということ。

仮想とかサイバーとかいう言葉のせいで、どうもネットだけが特別って思ってる人が多いような印象があるけれども、そりゃ違う。先に書いたように、回線の向こうにいるのは生身の人間だし、リアルワールドと共通する部分だって少なくない。

それに、ネットだけでなく書籍なんかについても、「付き合い方」の教育は要る。たとえば、ネットのフィルタリングで「未成年者向けにフィルタリング」とするのであれば、成人になればそのタガは外れる。紙媒体でも同じ。「18 歳未満はエロ雑誌禁止」といってみても、いつかは閾値を過ぎてエロ雑誌を自由に見られるときがやってくる。どっちにしても、単に「寝た子を起こすな」といって見せないだけだと、タガが外れたときに反動がくるんじゃないかなあと。

テロリズムとか極端な国粋主義とか各種の過激思想とか、はたまた先週のネタになった陰謀論の類だって同じこと。書籍だろうが、雑誌だろうが、blog だろうが、性的もとい静的な HTML 文書だろうが、単に規制して目に触れないようにするだけでは駄目で、目にした上で捨てる技術を持たなければならない時期が必ず来るはず。

つまり、何でもかんでも規制しろといってたらキリがないのであって、それよりむしろ、正しい情報の選び方・見つけ方とか、リアルワールドとネットでの情報伝播の違いとか、そういった「情報との付き合い方」みたいな種類の教育が必要なんじゃないだろうかと。情報化時代とかいう掛け声は自分が未成年の頃からあるけれども、そういう教育については、あまり語られていないように思えるんだけど…

実は、ネットでもリアルでも、受け取るだけでなく、発信する際の教育も必要。特にネットの場合、「内輪の人間しか見てないだろー」と気軽に考えてやばいことを blog や mixi 日記なんかに書いてしまい、大炎上を引き起こす事例が後を絶たない。情報発信に際しての心得とか、ネットにおける情報伝播の特性を知らないから、こういう目に遭う人が出る。

いや、そもそもヤバいことをする時点で駄目だろう、という話もあるけれど。

ただし実際にやろうとすると、実際にさまざまな情報と付き合った、あるいは発信した経験がある人間じゃないと実践的なカリキュラムを組めないのが問題。パソ通時代から数えると 20 年近いネット歴を持つ自分でも、果たしてできるかどうか。しかも、テクノロジーやサービスの進化に合わせて、逐次アップデートしていかないといけない。こりゃ大変だ。

でも、これは避けて通れない話なんじゃないかと思う。その「情報との付き合い方・発信の仕方」と関連する話題のひとつとして、有害情報の取り扱いについて論じ合う、というアプローチじゃいけないだろうか。有害情報を送り手の段階で完全に消し去るのは無理なんだから、受けてしまったものをどう扱うか、という考えも要ると思うのだけれど。

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