Opinion : アングルバーとフレキシブルワイヤー (2008/5/12)
 

阿川弘之氏の著作に、帝国海軍で「アングルバーで何ができるか、フレキシブルワイヤーにならなければならない」といわれてきた、という話が出てくる。帝国海軍贔屓の同氏のことだから、多少の贔屓目は入っているにしても、この考え方そのものは正しいと思った。

ただ、そこで難しいのが、何をもってアングルバー、何をもってフレキシブルワイヤーと見なすか、という定義付けの問題。両者を区別できる明快な基準が、あるような、ないような…


とりあえず単純なところから話を始めると、「ガチガチで融通が利かない」のがアングルバー、「しなやかで柔軟性があるのがフレキシブルワイヤー」かな、と考えてみた。でも、実際のところ、話はそんなに単純ではなさそう。

なぜなら、柔軟すぎてただの無節操になってしまうケースもあるから。政権党になったとたんに「自衛隊合憲」を言い出し、さらに政権から外れたとたんに「自衛隊違憲」に逆噴射した社会党/社民党は、フレキシブルワイヤーというよりも無節操の一例。逆に、ブレているようでブレていない、無節操に見えるけれど実はアングルバー、という事例もありそう。パッと実例を思いつかないけれど。

そこで、ない知恵を絞って考えてみた。「最終的な戦略目標についてはブレがないけれども、その過程でとる戦術は状況に合わせて柔軟に変えてくるのが、フレキシブルワイヤーなんだろうか」と。たとえば、A 地点を攻略するのに事前の計画に固執するのはアングルバーだけれども、計画で選んだルートの防備が堅いときに別の弱点を見つけて突くのはフレキシブルワイヤー、とか。

ただ、こうなると今度は「戦術を状況に合わせて柔軟に変える」と「場当たり式に戦術を決める」の境界線が問題になるなあと思った。たとえば、レイテにおける米海軍第 3 艦隊には後者のニオイがするけれども、「日本海軍の主力である空母機動部隊を撃滅する」という目標にブレはなかったのも事実。ただし「レイテ攻略」という、さらに上のレベルの目標をそっちのけにした点でクレームがつくのは仕方ないかも知れない。

そもそも常識的に考えて、艦隊の主役を囮として使う、なんて方法をとってくると考える方が無理だと思う。米軍は奇策に走るよりも常識と基本に忠実な場面が多いから、なおのこと。

一方、目的と手段を取り違えてしまい、本来は「目的を達成するための手段」だったものが、その「手段」を守ること、堅持することに焦点を移してしまうのは、典型的なアングルバーといえそう。柔軟性を欠くだけでなく、全体像や最終目的を忘れてしまっている点で罪深い。

さらにそれが先鋭化・宗教化してしまい、手段そのものが絶対不可侵な教典、教祖、あるいは御神体になってしまうと、もう手が付けられない。具体的に誰のこととはいわないけれど、さまざまな方面に、そんな事例がある。

そもそも、宗教にしてしまうということは、その教典・教祖・御神体を無条件に受け入れて批判をしないということにつながる訳だから、その時点でもう柔軟性も何もあったもんじゃない。はっきりいってしまえば思考停止。世の中、宗教にしていいものと悪いものがある。


「場当たり式」といえば、ネット上で議論がフレーム化したときには、しばしば発生する話でもある。

以前にも別稿で書いたと思うけれど、当初に話題にしていた話はいつの間にかどこかに行ってしまい、「とにかく負けるものか」という意地だけで相手の言葉尻を捉えた揚げ足取りに終始するようになるケースがままある。

そして行き着く先は、相手の発言を 1-2 行ずつ細切れ引用した、引用とコメントの分量が同じぐらいある長文レス。これが出てきたらもう、旗色が悪くなって揚げ足取りに徹するしかなくなった証拠。全体の話の流れから導き出される結論ではなくて、個別のパーツ叩きでしかない。そして、やりとりを見ている第三者がどう感じるか、なんてことまで考えが至らなくなる。

こういうのは、フレキシブルワイヤーとか柔軟性とかいわない。意地だけで張り合い続けているアングルバーの典型例。パソ通時代から現在に至るまで、至る所で見られてきた現象。


風邪気味のところから治りかけのボンヤリした脳味噌で書いたせいもあり、ちょっとまとまりのつかない内容になってしまった。けれども、突き詰めていくとこれ、案外と面白いテーマかも知れない。また、何か考えがまとまってきたら続きを書くかも。

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