Opinion : V.S.O.P. の理由 (2008/5/26)
 

といっても、ブランデーや「真夜中のお菓子」の話じゃなくて。

先日、徳島県の小松島に USS Reuben James (FFG-57) が入港したときに、毎度恒例の「非核三原則違反だから入港ハンターイ」という伝統芸能 (え ?) があったそうだ。

ちなみに、この艦の活躍でよく知られているのは、Tom Clancy の小説 "Red Storm Rising" である。

といっても、もともと FFG-7 級は核兵器に縁のない軍艦で、まして現在では Mk.13 ミサイル発射器を降ろしてしまったから、ヘタしたらミサイルだって積んでいないかも知れない。あったとしても、SH-60B 搭載用の AGM-119 Penguin Mk.II mod.7 ぐらいだ。しかもこのミサイルはノルウェー生まれで、核兵器とはどう見ても無縁。

なのに「非核三原則」を持ち出すのはナンセンスもいいところで、実際、「それ以外に反対できるような大義名分が無い為です」なんてことまでいわれている。それは確かにその通りなのだけれど、この辺の背景について、もうちょっと推測を巡らせてみようかなと思ってみた次第。当事者ではないから、推測しかできないけれど。


客観的にデータを積み上げれば、どう見ても間違ってるとしか思えないようなことを、大真面目に主張している事例はいろいろある。それに対して、「いや、それ間違ってますから」と反論する人が現れる。でも、たいていの場合、それで納得したためしはない。そして、間違っていて、しかもトウのたった主張を繰り返す V.S.O.P. (Very Special One Pattern。もちろん英語としては無茶苦茶もいいところなので、英語圏の人の前で口にしちゃダメよ) になるのがお約束。なぜか。

仮説 1 : 当事者も、自分達の論拠が間違っているのは分かっているのだけれど、他に世間にアピールしそうなネタを思いつかない。
これが正しい場合、結論だけは決まっているけれども、都合のよさそうなネタを拾ってくることができないことになる。それなら、情報収集に問題があるのか、さもなくば結論が間違ってるんだろう、と思うのは常識人。そうじゃない人の場合、結論から離れると存在理由がなくなって自己否定につながってしまうから、とかいう理由で、同じネタを壊れたレコードみたいに繰り返す。

仮説 2 : 当事者は、本気で自分達の論拠が正しいのだと信じ込んでいる。
これもあり得るから怖い。でも、持ち出してくる論拠が間違ってたり、過去には通用していたけど現在には通用しないものだったりする。前者の典型例が「無防備都市宣言運動」、後者の典型例が「景気回復のために戦争を起こす」「兵器産業が需要創出のための戦争を起こさせる」の類。
そこで間違いを指摘すると、「ダメなものはダメだ」といって逆ギレする。だったら最初から理由なんて要らない。ということで…

仮説 3 : 当事者は、実は自分達の論拠の正否なんて気にしちゃいない。
論拠の正否どころか、ひょっとすると、世間にアピールする主張かどうか、なんてことすら考えていないかも知れない。何か反応を起こす類のイベントが決まっていて、それが発生するととにかく出掛けていってアジる。
正しいことをいっているのかどうか、効果があるのか、世間にアピールしているのか、それによって世の中を変えることができるのか、なんて関係なし。アジっている姿がテレビに映れば OK。化学反応みたいなもんで、事象 A と組織 B をくっつけると必ず発火すると。

仮説 4 : 主張が間違ってるのは自覚しているけれども、何らかの事情で止められない
いまやっている活動を止めると村八分にされるとか、職場などの組織内で嫌がらせに遭うとか、組織の惰性で続けているだけとか。これもあながち否定できないのが、なんとも。

実際には、これら仮説の中のどれかひとつ、ではなくて入り乱れた複合型で、当事者もよく分からなくなっているのかも知れない。


なんでこんなことを考えてみようと思ったのかというと、一因として「共産党のビラ」がある。選挙が近付くとポストに投げ込まれているのはお約束だけれども、書いてあることといったら十年一日どころか、ヘタしたら五十年一日ぐらいかも知れない。

有権者にアピールして支持を増やすためにビラを撒くなら、よりアピールする内容のビラを撒くのが筋。言い換えれば、ビラを撒いても効果が上がらなくて選挙に負けた場合、打ち手が間違ってたと考えて別の手を考えるのが常識人。なのに、万年野党で議席だって伸びるどころか減りまくっていたりするのに、それでも打ち手を変えないのはなぜだろう、と以前から不思議に思っていた。

でも、アピールしているかどうかなんて気にしちゃいなくて、基本的には定型文のビラを撒くことに意義があり、それが効果を生んでいるかどうかなんて考えていない、と仮定すると、この V.S.O.P. ぶりにも納得がいってしまう。

ひょっとすると、主張の内容を変えることが、あるいは打ち手を変えることが、自分達がこれまで信じてきた教義の否定につながるから受け入れられない、なんてオチかも知れない。えーと、普通はそういうのって「思考停止」っていいませんか。


と、推測だらけになってしまって申し訳ないのだけれど、ひとつだけ間違いないといいきれるのは、「自分達が掲げている結論は正しい。だから、結論さえ正しければ、手段なんて…」と考えてるんだろうなあ、ということ。じゃなかったら、たとえば運送会社の輸送経路に潜り込んで荷物にチョッカイ出すような真似はできないと思う。中東あたりで自爆テロをやってるのも同じ。目的が正しいとしても、だからといって何をやってもいいってわけじゃあない。

まず根拠やデータがあって、しかる後に結論が導き出されるのであれば、その根拠・データに対して理詰めで反論する手が使えるし、相手を説得できる可能性もある。けれども、結論先行・理由は後付けとか、ヘタすると結論先行・理由はどうでもいいとかいう相手になると、理詰めの説得は不可能。なにせ相手は宗教家みたいなものだから、異教徒のいうことに聞く耳を持たないのはあたりまえ。

でも、そういう人に限って声だけはでかいし、いかにももっともらしい話をでっち上げるのが上手かったり、マスコミを味方につけるのだけは上手かったりするから、何も知らない人がコロリと騙されてしまう場合もある。となると、こちらも「真実はこうである」とふれて回るだけではダメで、何か打ち手を変えないといけないかも知れない。

何にしても、「自分達の神聖な主張に誤謬なし。絶対に正しいのだから、反対する悪魔どもを抹殺するためなら何をやってもよろし」なんて考えてる人に、ロクな人はいない。

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