Opinion : "○○だから△△は不要" のダマカシ (2008/6/9)
 

海上自衛隊のイージス護衛艦「こんごう」が就役した頃だったか、「冷戦期のソ連軍による対艦ミサイルの飽和攻撃に対抗する目的で登場したのがイージス艦。だから、冷戦崩壊後の現在となっては不要である」みたいな論陣を張った人がいた。

ところが現在、イージス システムは弾道ミサイル防衛の重要なエレメントになっている。ちょうど先日も、SM-2 ブロック IV を使った要撃試験・FTM-14 を成功させたところ。もともと優れた能力を備えたシステムを作っておけば、後でいろいろと使い回しが効くという一例。

戦車だって同じ。クルスク大戦車戦みたいなシナリオしか頭にないと、「冷戦崩壊で大規模な陸戦の可能性は低くなった。地域紛争にも戦車の出番はないのだから、戦車は不要」という主張になる。ところがフタを開けてみたら、これまで戦車とはもっとも無縁と思われていた市街戦で、戦車が防御力と火力とセンサー能力を兼ね備えた「移動式火力支援要塞」として、大いに役立つことがイラクで証明されている。

この件に限らず、「冷戦崩壊後には云々」みたいな枕詞をつけて「○○は不要」(○○には任意の装備名が入る) とやるのは、いわゆる軍備反対派の定番。でも、実際には「状況が変わったから不要」といっていたら、実際には「状況が変わったから有用」に化けてしまったり、日本とはまるで状況が違う国のことを引き合いに出していたり、と無理無理なことが間々ある。

これって突き詰めると、子供が親にものをねだるのに「みんな持ってるんだから〜」というやり方の裏返しで、「みんな止めてるんだから〜」とやれば説得しやすい、ということなのだろうか。
バリエーションとして「ヨーロッパではこうだ」というのもあって、たとえば「ヨーロッパでは軍事費を減らして軍縮の方向に向かっています」なんて大嘘を垂れ流した政治家もいた。少なくとも欧州主要国は増加傾向にあるのだから、実質的に嘘。


そもそも、「冷戦が崩壊したんだから〜」という論陣を張ること自体、紛争の原因が冷戦と東西対立しかないと考えている、いわば冷戦思考の典型例。1990 年代初頭に業界筋では「これからは、超大国による抑えが効かなくなって地域紛争が増える」といわれていた。実際にその通りになったことはスルーして、いまだに「冷戦が崩壊したんだから〜」を連呼するのは、自分で自分の不見識を吹聴するようなものじゃなかろうか。

えーとそれとも、ひょっとして「冷戦崩壊後に地域紛争が増えたのは、戦争のネタを作って大もうけするための、兵器産業を初めとする闇の勢力 (笑) による陰謀だ」とでもいうんだろうか。

それに、冷戦崩壊で本当に得をしたのはヨーロッパぐらいのもので、アジアの状況は大して変わっていない。以前からしつこく書いているように、国が必要とする防衛力の水準や内容は、周辺諸国との相対的な地政学的関係・力関係によって決まるので、全世界的に同じ水準でよろしい、と決められる訳がない (実際には、必要な防衛力と手持ちのリソースで維持可能な防衛力のバランス、という問題も絡んでくるけれど)。

この手の "いちぜろ" 思考のバリエーションを、クラスター爆弾廃止の是非をめぐる議論の中で見た。クラスター爆弾は廃止すべき、と主張するのは個人の自由だけれども、「着上陸阻止には面制圧兵器が必要」という主張に対して「中国人民解放軍 10 万人の本土上陸」なんていう架空戦記作家でも取り上げないような誇大妄想を展開、それに対して突っ込まれたら「離島防衛でも役立つのは航空機搭載の CBU-87/B クラスター爆弾ぐらいで、MLRS はもともと不要」といい返してグダグダ、とか。

この言い分の何が問題かといえば、「日本にとって可能性が高いシナリオは離島防衛である」(それは正しい) →「離島防衛では MLRS は不要」→「だから MLRS が装備する M26 ロケットの廃止は正しい」と話がすっ飛んだこと。蓋然性が高いということと、それ以外の事態を無視していいということはイコールじゃない。まさに二進法的思考の典型例。

これをたとえていえば、「表通りに面した玄関の扉に鍵をつけておけば、それ以外の窓やドアには鍵をかけなくてよろしい」といっているようなもの。蓋然性が現時点で高いかどうかに関係なく、基礎的防衛力として日本本土への着上陸侵攻に備えた装備をなにがしか、維持しておくことの必要性に疑いはない。なぜか。

それは、少数でも装備しておくのと、完全にゼロにしてしまうのとでは、運用のノウハウや教育訓練という点で差が出てくるから。ゼロにしてしまったら、ノウハウも訓練もゼロになってしまうから、後で状況が変わって再装備が必要となったときに、べらぼうな手間と経費がかかってしまう。下手をすると、それが必要なときに間に合わないかも知れない。


思うに、一国の軍隊が装備する兵科・装備については、「多くの国で共通して保有する基礎的分野」と「各国の国情に応じて変動する分野」があるんじゃなかろうか。あと、他国への侵攻「も」考慮する場合と、専守防衛に徹する場合でも、「国情に応じた変化」が生じてくる。

日本の場合、周囲を海に囲まれていることから、まずは制空権の確保、制海権の確保、そして着上陸阻止ということになる。ただ、必ず洋上で殲滅できるとは限らないから、上陸されてしまった場合に備えることも必要で、それには面制圧兵器が有用、という話になる。二重・三重の備えが好ましいのは、玄関ドアの鍵と同じ。相手に余分な手間をかけさせることが、結果として抑止力につながる。

特に上陸作戦の場合、大規模な機甲部隊がドヤドヤと上がってくるよりは、軽装備の歩兵部隊や装甲車が主体になる。これだったら、対装甲用としては威力が小さい MLRS の DPICM 弾、あるいは CBU-87/B の CEM でも役に立つ。離島みたいなところでは航空機から投下できる CBU-87/B の方が有利、本土ではさらにカバー範囲が広い MLRS が有利、という話。9 両の合計で 70,000 発近い DPICM を一気に撃ち込める MLRS の面制圧能力に比肩する装備は、そうそうない。

あと、敷設の手間を考えると、対人地雷よりもクラスター爆弾や長射程の多連装ロケットを使う方が柔軟性が高い、という事情もある。どこに上陸して来られるか分からないので事前に地雷原を海岸線に作っておくなんていったら、日本の砂浜は片っ端から地雷原と化して、海水浴場は商売あがったりになってしまう (そりゃ極端か)。

散布地雷を使うにしても、陸上から投射するのでは有効範囲に限りがあるし、そもそもあれは敵の予想ルート前方に撒き散らして進撃を遅滞させるためのもので、上陸してきた敵軍を殲滅する、というシナリオとは話が違う。そういう意味では、指向性散弾も似た性格があると思われる。「散弾」といっても、MLRS や CBU-87/B とはカバー範囲が全然違い、同等の面制圧能力にはならない。

そこんところを無視して「同じ対人用だから、(対人地雷とクラスター爆弾の二重装備は無駄 | 指向性散弾があればクラスター爆弾は不要)」なんていうのは、詭弁もいいところ。だいたい、対人地雷廃止の流れが出てきた時点で、全廃前に代替装備の調達に動くのは当たり前の話。

逆に、国情によってはどう見ても必要ない、という装備もある。たとえば、アフガニスタンに航空母艦は必要ない (笑)


こういうことを書くと、「しかし、日本本土に上陸作戦を仕掛けてくるような意思や能力を持つ国はないから云々」といい返されるのはお約束だけれども、「着上陸阻止は日本にとって必須の基礎能力」という話。現時点で誰も上陸して来ないからといって、その状況が将来にわたって続くと誰が保証するか。

バリエーションで、「中国は台湾に大軍を投入できるほどの揚陸作戦能力を持たない」(これはまあ正しい) が「中国は台湾を攻撃しない」に転化するケースがある。大軍を送り込んでノルマンディばりに上陸作戦を展開する、という第二次世界大戦型の考え方しかできないと、こういう話に引っかかるのだけれども、個人的には別のシナリオが考えられると思っている。その話はまた別の機会に。

Contents
HOME
Works
Diary
Defence News
Opinion
About

| 記事一覧に戻る | HOME に戻る |