Opinion : テロ対策と NGO 活動のあり方と (2008/9/1)
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アフガニスタンで NGO のスタッフが拉致・殺害された一件に関連して、またぞろ、さまざまな方面でさまざまなことをいっている人がいる。中には毎度恒例のお約束で「アメリカ陰謀論」に逃げ込んでいる人もいる様子。この辺の話について、思ったことをつらつらと。
そもそも、「軍事力ではテロは防げない」などと主張する人が、何か気の利いた、説得力のある代案を出していただろうか。まさか本気で「憲法 9 条の精神を輸出すればテロはなくなる」とでもいうのだろうか。だとすれば、それはトンでもない勘違いであり、「憲法 9 条を持っている日本はえらい、そうでない国はダメだ」という傲慢にもつながりかねないと思う。
先週、「戦争を抑止するには、問題解決手段としての戦争のコストを上げること」と書いたけれども、これはテロ対策にも通用すること。つまり、政治的目的を達成する手段としてテロに訴えることのコストを高くするのが、テロ対策の基本。
具体的な内容を以下に並べてみた。日本も含めて、いわゆる西側先進諸国ではこれらの条件が満たされているから、テロはあまり発生しないし、しても広まらない。テロによって政体がひっくり返った事例も聞かない。
テロを行うにも、人手・資金・物資が要る。そういった兵糧を絶つこと
テロ組織が根拠地、策源地にできるような聖域を作らないこと
テロ組織に対する一般市民の支持をなくすこと。また、一般市民がテロによってビビらないこと)
テロ行為を行った場合に、当局によって拘束されて厳罰に処せられるという態度を為政者が示すこと (融和的態度はテロの有効性を裏付けてしまう)
三番目はともかく、その他は国家、正確には国家が運営する治安維持機構 (法執行機関) でなければ実現できない話。一般市民が「自警団」を作る形でも同様のことはできそうじゃないかといわれそうだけれども、そっちの方が危険性が高い。それは、市民を危険にさらすというだけでなく、責任の所在が不明確になるという理由もある。しかるべき教育・訓練を受けたプロがやらないと、法執行は破綻する。
ただし、こうやって「国家」でなければできない仕事がある一方で、民生向けの支援という点については、NGO の方が上手にこなせる仕事が多いのも事実。だから、「国家がやるか、それとも NGO がやるか」という二者択一思考になるのがそもそもダメで、国家と NGO が得意なところを分担して支援を提供する、というのが理想的な姿だと思うのだけれど。
個人的に、PRT (Provincial Reconstruction Team) 方式を評価しているのは、そういう理由があるから。ところが、軍隊アレルギーにかかっている人にかかると PRT というだけで拒絶反応を起こしてしまい、NGO だけで全部やるのがいいのだ、ということになってしまうのだから始末が悪い。
国家が崩壊状態にあり、治安維持ができない。それをどうにかするには、まともな政府をつくり、治安維持機構を作る必要がある。そうすることでテロリストの聖域を潰して、テロ対策の一助とすることもできる。まず治安を安定させないことには、投資を呼び込んだり経済発展を促したりするのも無理な相談。
こうなると民間組織には荷が重すぎる話で、その筋の専門家が出てこないと話が進まない。だいたい、「政府と独立して活動する非政府組織」が「政府組織や法執行機関の構築を支援する」なんてことになれば、矛盾話法だといわれかねない。
現実には、政府による活動に対して否定的で NGO の方がずっと役に立つ、という主張をする人が存在する。そういう人達って、政府組織や法執行機関なんて構築するべきではなくて、アナーキーな状態にする方が治安の改善になり、テロ対策になる、とでもいうのだろうか。はたまた、まともな政府や法執行機関というものは放置プレイにした方が早く実現する、とでもいうのだろうか。うーむ。
はっきりいっちゃえば、まず「軍事力の意義を否定しなければならない」とかいう前提があって、実情をそれに合わせようとするから破綻するのでは ?
当たり前のことを書かなければいけないのも情けない話だけれど、平和でも安全でも、願うだけで、祈るだけで、もうタダで降ってくるものじゃないんだよ ?
紛争地帯で、いろいろ危険がある。でも助けを求めている人がいるから、何かしないといけない。そういう場面があったときに、NGO が丸腰で乗り込むのが最善の策なのかどうか。情報収集・危機管理・安全確保のための専門家を配して体制を整える方が、安心して支援活動をできる。実際、そうやって活動している NGO もあるし、中には民間警備会社を雇っている事例もある。
逆にいえば、NGO が紛争地帯で支援を行いたいというのであれば、そこまで体制を整える責任があるんじゃないかということ。どうも日本の場合、NGO というと「政府による支援なんてダメだ」「NGO なら問題を解決できる」という二者択一思考に陥りがちで、それが結果として安全確保のための手段を講じることを妨げて、今回のような事態につながっているように思えてならない。
海外で支援活動を行う NGO が本気で「憲法 9 条がある日本のスタッフを襲うはずがない」「襲われたのだとすれば、それは憲法 9 条違反の自衛隊派遣を行っている日本政府のせいだ」とかなんとかいう考えの下、丸腰で支援スタッフを派遣しているようなことがあれば、それはトンでもない話。「大和魂があれば勝てる」といって竹槍持って突撃させるのと、メンタリティとしては同じじゃないの。
(↑念を押しておくけれども、仮定の話である。本気でこんなことを考えている人がいたら、それこそ見識を疑う)
そういう意味では、自衛隊の派遣に反対するときは「紛争地帯だからダメだ」といい、NGO を出すときには「紛争地帯だからダメだ」あるいは「紛争地帯だから安全対策が必要」といわないあたりにも、なんとも矛盾したものを感じる。
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あと、「身代金を払えば帰ってくるのだから…」ということをいう人もいるみたいだけれど、その誘拐と身代金がテロ組織などの資金稼ぎになっている、という側面についても考えてもらいたいところ。きつい言い方をすれば、身代金を払うことによってテロ組織などの活動を支える結果になっているわけだから。
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