Opinion : 大声を出すと聞いてもらえない (2008/9/8)
 

F1 の世界で知らぬものはない、バーニー エクレストンという人がいる。いろいろないわれ方をしているけれども、並みの人間ではあれだけの仕事はできないのも事実で、やはり只者ではない。

そのバーニー氏のお嬢さん、ペトラ エクレストン氏のインタビューで、興味深い一節が。

誰かが静かに話しているときは注意して聞くべきだってパパから教わった
パパから、叫んでいる人々はあまり話を聞いてもらえないということを教わったわ。パパの場合、とても小声で話すのでじっと聞かなくてはならないの。
(ペトラ・エクレストン : 小柄な父親と F1 のワルたちについて )

うーん、深い。


誰しも、何か主張したいこと、他の人に聞いてもらいたいと思っていることはあるものだけれど、そこで青筋立てて大声でギャーギャーわめくのは逆効果、というのは確かに事実かも知れない。よく、ラウドスピーカーで何かをがなり立てながら街宣しているクルマを見かけるけれども、どれだけ聞いてもらえているのやら。

そういえば、狛江市の矢野市長は市長になる前、よく喜多見駅の臨時改札口 (注 : 喜多見駅は世田谷区内だが、西端の臨時改札だけ狛江市に食い込んでいた) のあたりに自転車で乗り付けてきて幟を立てて、駅に出入りする通勤客相手に演説していたけれども、あれもたいていの人はスルーしていたような。
もっともこれは、通勤客だから時間に余裕がないというのもあっただろうけれど。とすれば、単に演説する側の場所・対象選択ミス ?

これに限らず、(駅前ならともかく) 静かな住宅地のど真ん中にまで乗り込んできてラウドスピーカーで街宣をおっぱじめるのだから、共産党ってのはこまりものだと思う。一度なんか、頭にきて当事者のところに乗り込み、イチャモンつけたことがあった。って、この辺の話は前にもどこかで書いたかな ?

それはそれとして。
「自分の主張が聞き入れられない、マイノリティにとどまっている。でも、絶対に自分の主張が正しいんだああっqあwせdrftgyふじこ」と思ってしまうと、さらに自分の主張を強くするために大声を上げてしまうパターンは、すごくありそう。

でもどうだろう。内容の良し悪しは別として、青筋立ててキーキーと大声を発して絶叫してばかりいたら、それだけで普通の人にはドン引きされてしまわないだろうか。

あと、大声かどうかは別として、カルト宗教みたいになってしまうのも逆効果。もっとも、自らの信念がカルト宗教化した人ってたいてい、青筋立てて大声を出すようになるものではあるけれど。大声を出す代わりにウケ狙いに走り、そのウケ狙いの方向性が自己満足的でいかれていてドン引きされる、というのもありそうな話。


もちろんこれは、「何も主張するな」という意味ではないのだ、と念を押しておかないと。主張があって、それをライブで、あるいは Web や blog で書くのはかまわない。

でも、大声を出し過ぎたり、狂信的になりすぎたり、「自分だけが正しいことを知っているんだあああああっqあwせdrftgyふじこ」という態度が出過ぎたり、それの度が過ぎて周りの人に対して侮蔑的な態度に出たりすると、それって逆効果でしょ、というだけの話。自分も気をつけないと。

むしろ、冷静に淡々と話を積み上げていって、いつか受け入れられる日も来るさー、と泰然と構えているぐらいの方が、当人にとっても周囲にとっても、精神衛生上、よろしいと思うのだけれど。

多分、外交の世界でも同じ。何も主張しないのは論外で、いいたいことがあればどんどん発信していくのが筋。ただ、大声の出し過ぎやヒステリックな態度は、却って味方を減らす可能性があるんじゃないの、とは思う。どこの国のこととはいわないけれど。

もっとも、"いちぜろ" でしか物事を考えられなくて、「現状が己の理想と合わない → 理想が実現するのを早く見たい → 理想から乖離している現状は変えるべき → 大声 & ヒステリー」となってしまう人って、よく見かける。世の中って、もっとアナログでカオスなものなのだから、それは無理だってば。

ただし中には、「"真実" を広めるために大声を上げているのに、誰も聞いてくれない」という状況にマゾ的快感 (え ?) を感じている人とか、そうやってトロイアのカサンドラ化している自分に酔っちゃってる人もいるのかも知れないなあ。

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