Opinion : ヤケにならずに、できることから (2008/11/10)
 

例の「空幕長の論文騒動」以来、自分の身辺では何でも手当たり次第に「○○はコミンテルンの陰謀」と茶化すのが流行っている。もっとも、過去には「世の中のよくないことは、すべてラムズフェルドとネオコンのせいである」とやらかした人もいるぐらいだから、茶化す人が出てくるのは一種の様式美ということで。

ただ、ネオコンのせいにするにしてもコミンテルンのせいにするにしても、よくないこと、気に入らないことを単純に誰かの陰謀のせいにするのって、あまり誉められたもんじゃないと思った。ジョークならともかく、本気にするのは駄目でしょ。


諭吉翁は「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」といったけれどもいう言葉を自著の中で引用していたけれども ※1、現実には、それぞれ生まれついた環境はバラバラだし、その後も同様。運やタイミング次第で、すごく恵まれた生涯を送れる人もいれば、苦労ばかりする人もいる。でも、誰だって、生まれる場所も時代も親も選べない。それに、あるタイミングでは「恵まれている」と思ったことが、後になってみたら正反対に働いてしまう、なんてこともある。

たとえば、自分はバブル真っ盛りのときに社会人になった世代だから、就職活動で苦労した世代の人が聞いたら怒髪天を突きそうな話を、いろいろ見聞した。なにせあの時代には、内定を出した学生が他の会社に行っちゃわないように、企業があの手この手で拘束をかける、なんてことまであったぐらい。お堅いと思われがちな製鉄会社が、意味不明な CM を流してソフトなイメージを売り込もうとした、なんてこともあった。

今だったら逆に、金融関連の会社が堅実に商売してます、みたいなイメージを売り込もうとするかも知れないけれど。

ところが 10 年ぐらい経ってみたら、今度は「バブル時代に入社した社員は使えねー」なんていわれるようになったのだから、世の中って分からない。ある時代に絶頂だと思っても、何かの拍子に舞台が暗転してスットコドッコイ、なんて話はあちこちにある。えてして、そんなもん。

社会に出て仕事をしていると、「何であいつがあんなイイ思いをしてるんだ、自分の方がもっと上手にできるのに」みたいな憤懣を溜め込むことって、誰でも一度や二度は経験していると思う。自分も、「これでどうだ !」と思った企画をぶつけてボツになった経験が何度もある。

でも、そこでヤケクソになったり、厭世的になって拗ねちゃったり、「自分が正しい、世間は馬鹿ばかり」といって怒りまくりの中二病みたいになったりしても、多分、何の解決にもならない。まずは自分に与えられた枠の中で、自分にできるところ (または、できそうなところ) から手をつけて、少しずつでも事態をいい方向に動かしていく、あるいは状況の好転に備えて雌伏する方が現実的なんじゃないかなあと。

アメリカ発の金融危機を発端にして「大変だ、恐慌だ」と煽る人はいっぱいいるけれども、ブツクサ文句をいう、あるいはひたすら緊縮体制をとって縮こまるだけでは景気は回復しない。突き詰めれば、一人一人が愚直に、自分にできる範囲でモノやサービスを売ったり買ったりして景気を回していかないと、回復するものもしなくなる。

ついでに陰謀論が大好きな人について書くと。以前にも書いたように、周囲の状況が己の理想に合わない現実からの逃避として、一発逆転のために切り札、正当化の手段として陰謀論に飛びつくケースが多いんじゃないかと思う。でも、それって「自分が置かれた枠の中で、できることから手をつける」という考え方からは程遠いわけで。

だから私は、陰謀論に走るのは逃避だと書いたし、今もそう思ってる。多分、物事を "いちぜろ" でしか考えられなくて、曖昧さを許容できない人ほど、この罠にはまりやすいんじゃないかと。


そういえば、最近書き始めた新しい書籍は、アイデアだけは 5-6 年前ぐらいからあったもの。でも、「現在の状況で持ち出しても、通りそうにないなあ」と思って胸の中で暖め続けていたものが、やっと最近の状況の変化で通りそうな感じになってきて、それでぶつけてみたら (ちょいと時間がかかったけれど) 大成功。それだけに気合が入るし、もうノリノリで書いている。

こんな風に、まずは雌伏しながらパワーアップしておいて、チャンスが巡ってくるのを待つ。性急な解決を求めて焦らない。というやり方だってあるんじゃないかと。ある時点でダメだった手法や考え方が、後になって受け入れられるようになる可能性、完全に否定はできないわけだし。必ずチャンスがめぐってくるとも断言できないけれど。

空幕長の一件があったから自衛隊について書くと、かつて吉田総理が「諸君が日陰者でいる時の方が、国民は幸せなのだ。耐えてもらいたい」なんていう重たい演説をした時代があった。日教組あたりが、教育現場であれこれと嫌がらせをしたこともあった (これは今も似たようなもんか)。それに、何か不祥事があるとマスコミがダボハゼのように食いついてくるのは今も昔も同じ。

でも、世間の目が厳しかった時代から、ヤケクソにならないで研鑽に励んで、災害派遣などの出番をキッチリとこなしてきたからこそ、大多数の国民からの理解や支持を得られるようになったんじゃなかったの ? 一人一人が自覚を持って、これまで積み上げてきた理解や支持を台無しにするような真似は謹んで欲しいなあと、切に願う次第。いったんぶち壊しになったものは、立て直すのに数十年はかかる。

これ、自衛隊に限らず、在日米軍にもいえることなんだけれど。


と、ここまでは「周囲の状況が良くない場合」の話について書いたけれど、実は逆のケースも注意しないと危ないかも。つまり、周囲の状況に恵まれている、あるいは恵まれるように変化してきた時に「俺の時代が来たぁぁぁぁ」といって調子に乗りすぎて、足を踏み外してしっぺ返しを喰らうかも、ということ。

ヤケクソになっても厭世的になっても中二病になってもいけないけれど、逆に、状況がいい時にハシャギすぎてもブーメランになりかねない。人生って難しい。ふう。


※1 : この件について、読者の方から指摘を頂戴した。件の言葉は諭吉翁のものではなくて、実はアメリカ独立宣言からの引用とのこと。結果的には本稿と同じような意味になるのだけれど、引用を間違えたのは確かなので訂正を。
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