Opinion : ハードウェアより先に必要なもの (2008/12/1)
 

最新の「世界の艦船」誌で「自衛艦のすべて」という特集を組んでいて、その中で「こんな自衛艦が欲しい」というテーマで、何人かの人にインタビューしているページがあった。艦船というハードウェアが主役の雑誌だし、こういう話にも夢があって良いけれども、個人的には「ちょっと待て」と思ってしまった。

なぜかというと、(blog のコメント欄で、先にちょっと書いてしまったけれども) ハードウェアより先に、もっと必要なものがあるんじゃないかと思ってしまったから。


その昔、国鉄の東京鉄道管理局に「仕事は "めしのたね" である」と連呼して、"めしのたね局長" と渾名された局長がいたらしい。なるほど、確かに仕事をして報酬を得ないと生活が成り立たないから、仕事が "めしのたね" というのは正しい。

でも、稼ぎが多いか少ないか、というだけで仕事の良し悪しが決まるものではないのであって、どんなに稼ぎが良くても「この仕事はちょっとなあ」と思う場合もあるし、その逆もある。手応えが感じられるかどうか、全身全霊をかけてのめり込めるかどうか、といったことも重要。

フリーで仕事をしていると、収入の多寡とトレードオフの関係になるとはいえ、仕事を選ぶ自由が多少はある。会社勤めをしているとそういう訳にはいかないけれども、仕事をする会社、あるいはポジションを選べる場合もある。どちらにしても、手応えとかやりがいを感じられる仕事をできる方が幸せ、という点では同じ。

そういう意味では、軍人というのは難しい稼業だと思う。どこの国でも、軍人の待遇が特別に良いわけではないし、むしろ民間より俸給が安い場合も多い (それを補うための benefit を、いろいろ設定しているにしても)。しかも、危険度はずっと高い。

といった話だけではなくて、軍人という稼業で何がいちばん難しいかといえば。

それは、軍人が本来の任務を果たさなければならない状況になるのは最悪の事態であり、平時が続いて、ひたすら練成に励んでいられる方がいい、ということ。そうなると、術力に磨きをかけながらも、それを発揮する機会がないのがベスト、という矛盾した状態になってしまう。警察や消防にも似たところがあるけれど、軍人の方が切実。

杉山隆男氏の「兵士に聞け」だったか、「自衛隊というのは、本にならない原稿を書き続けるところ」という退役将官の発言が出てくる。そういう立場で「手応え」とか「やりがい」を感じられる環境を維持するには、通常以上の配慮が必要なはず。それでいて、いざ本番となったときには後顧の憂いなく国防という職務に専念できるようにするための環境を作ることも、制服組に対して上位にいる文民の義務じゃないのかと。

冒頭で「自衛艦というハードウェアより先に、必要なものがあるんじゃないの」と思ったのは、そういうこと。(100% は無理にしても) 国民的な支持や理解であるとか、「国のために働いてくれてありがとう」というメッセージを政治家などが言葉や態度で示し続けることとか、任務を果たすために必要な人・モノ・カネなどをきちんと供給するとか、電波ではない健全な外部からの批判・提言であるとか。そういった事柄の方が、ハードウェアより先に必要なんじゃないの、と思ってしまった次第。

それだからこそ、以前にも書いたように、安全保障に関わる政策立案や制度の決定といった場面では、文民は本職たる制服組の意見を聞く義務、制服組が存分に仕事をできる環境を整える義務があるはず。もちろん、そこで政治的な配慮も取り入れなければならないから、どちらか一方の言い分だけを通して終了、ということにはならないにしても。

「電波ではない健全な外部からの批判・提言」と書いたけれども、実際のところ、世の中には電波さんがゴロゴロしている。そういう先鋭的な声の方が目立つから、マスコミなんかでも取り上げられやすい。でも、そんなことばかりやっていると、却って「内にこもらせる」事態に、そして「どうせ分かってもらえないんだから」といって捨て鉢で独善的な行動に走る素地を作る結果になりはしないか、と思う。

それでは、国民の側にとっても、自衛隊関係者の側にとっても、絶対に幸せなことにならない。互いに正面から、現実を見据えた上で向き合っていかないと。


私が常々、「自衛隊の海外派遣を行うなら、派遣期間中に首相や防衛相が、必ず一度は現地に行くこと」といっているのも、派遣しただけで放りっぱなし、という思いにさせないためには最高指揮官が行かなきゃダメだろうと思うから。それが、「派遣」という命令を下す立場にくっついてくる、責任ってもんじゃないのかと。

そうやって環境を整えて、現場の人間が「国家の指導層や国民一般から、自分達は頼りにされているんだ」という誇りを維持できるようにすることが、術力に磨きをかけるためのモチベーションにつながるのでは。そして、いざというときに本領を発揮させるためにも、「国民の軍隊 (あえてこう書く)」になるためにも、必要不可欠なことなんじゃないかと。

そういう意味では、帝国陸・海軍の不幸は、「国民の軍隊」というより「天皇の軍隊」というポジショニングであり続けたことなのかも。そこに責任をおっかぶせてトンズラーを決め込んだ戦後日本の生き方にも、それはそれで問題があったと思うけれども。

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