Opinion : 匿名批判について考えてみた (2009/2/23)
|
なんだか最近、「インターネットでは匿名で攻撃する風潮が強くて怪しからん」という類の論調が、あちこちで出回ってきている様子。ちょいと小耳に挟んだところでは、イカリング ホワイトバンドの仕掛け人、サニーサイドアップの次原社長も、その流れに加わっているとかいう話が。
いや、他のことはともかく、ホワイトバンドについていえば 2ch に限ったことじゃなくて、あちこちで批判的に書かれてましたけれど ?
といっている自分自身、ホワイトバンドについては繰り返し、批判的な論陣を張ってきた一人。かような、匿名でも何でもない立場からの批判については、「匿名だから怪しからん」では対応できない。
それに、私があのキャンペーンを批判したのは、「寄付ではない」とか「詐欺師」とかいうレベルの話じゃなくて、キャンペーンの根本理念から間違ってると思ったから。それについては、どう説明するつもりなのだろう。匿名じゃない人がキャンペーンの根本理念について疑義を呈したら、ちゃんと説明してくれるのかしらん。
以前に「実名義務付けに実効性はないのでは」という趣旨の話を書いたけれど、それと表裏一体、今回は匿名云々の話で。
ホワイトバンド自体の話については、過去にもさんざん書いてきているから、ひとまず措いておくとして。何をいいたいのかといえば、ネット上で何か批判にさらされたときに、安易に「匿名批判」に逃げ込む人が多くなってない ? ということ。
なるほど、匿名掲示板 (実際には、何か事件があればアクセス記録は提供されるわけだから匿名でも何でもないんだけれど) に「顔の見えない個人」からワーッと批判的な投稿があれば、不気味な感じがするものかも知れない。でも、インターネット以前からそういうのって存在したと思うけれど。
古典的なところだと、夜に自宅の窓に石を投げ込まれるとか。これは、TV ドラマなんかでも、ちょいちょい見た記憶がある。って、以前にもどこかで書いたような。
で。たとえば blog か何かに書いたことが、何かの拍子で広く知られるところとなって、それで批判的な意見が殺到したとする。ときどき見かけるのは、そこで話を本題からずらして「匿名批判」にすり替えてしまう人。自分の主張が正しいのだ、という信念を持つのは個人の自由だけれど、それならそれで勝負すればいいのに、話をずらすからおかしくなる。
どういうことかというと、「匿名でコメントするのは、自分で自分の発言に責任を持てないからだ。それができる人なら身元を明らかにすべきだ。blog の URL かメールアドレスを明示した上でコメントせよ。もちろんフリーメールのアドレスは不可だ」なんてことをいい出す。
一見したところでは、まっとうなことをいっているように見えるけれども、誰もがみんな自分の blog を持っているわけではない。それに、メールアドレスを投稿時に入力したせいで spam メールが殺到するのは避けたい。
それを、blog 主による「匿名批判」対策のためだけに blog を作ったり、メールアドレスを晒して spam に悩まされたりするよう強引に求めるのでは、blog 主の横暴といわれても仕方ない。というかこれ、はっきりいってしまえば、気に入らないコメントを削除するためのエクスキューズじゃないかと。
これについては、「自分の blog を運営しているような人は、それを通じて立ち位置を明らかにしているわけだから云々」というようなことをいう人がいるけれども、そんなもん、その気になってチョイチョイと手間をかければ捏造可能。たとえば blog なら、エントリの日付は投稿時に自由に指定できるのだから、後から過去にさかのぼった投稿をデッチ上げることだって可能。その程度のモノを金科玉条のようにいわれても。
それに、自分の blog を持っているとかいっても、たいていの人は実名ではなくてハンドルネームだし、それをもって「匿名ではない」という理屈は相当に苦しい。その気になれば、捨てハンドルで blog を幾つもデッチ上げることだってできるのだし。
第一、「インターネットの匿名性 (注 : 実のところ怪しいもんだけれど) を悪用して、匿名で批判するのが怪しからん」というところばかり強調していると、冒頭でも書いたように、匿名の批判と同じ内容の実名の批判が出てきたときに、たちまち自爆してしまう。そのことに気付いているのか、いないのか。
冒頭のホワイトバンドの事例なんか典型例で、あくまで「名無しさんの仕業」ということにして逃げを打とうとすると、たちまちボロが出て収拾がつかなくなるのは明白。なのに今更、なんで匿名批判のせいにしようと思ったのか、理解に苦しむ。
ホワイトバンドのキャンペーンで中核にいた諸氏は往々にして、「ネットでバッシングされて失敗した」と言い訳している。でも、そのことが逆に、このキャンペーンで勝負をかけるつもりだったのだろうな、それが失敗したのが悔しかったのだろうな、という印象を強めている感がある。確かに、あのキャンペーンで使ったシナリオは、かつてなら「勝利の方程式」として通用したはずのものだから、それが突き崩されたダメージは大きかった。のかもしれない。
でも、そこで匿名批判に話を持って行くのは、どう見ても賢明な策じゃない。まだしも「真意が理解されなかった」とかいう方がマシ。でも、前にも書いたような気がするけれど、そもそも宣伝のプロともあろうものが、(当事者がいうところの) バッシングをされるような穴だらけのキャンペーンを張った時点で、どうかと。
こういうことが続くと、気に入らないことを「ネットの匿名ユーザー」のせいにする人が、みんな胡散臭く見えてくるから困る。
|