Opinion : 道具を叩いても戦争はなくならないよ ? (2009/4/20)
 

うちにはテレビがないので又聞きの話になってしまうのだけれど、ロボット技術の軍事利用について取り上げたテレビ番組があったのだとか。確かに最近では、特にアメリカにおいて陸・海・空のいずれでも無人ヴィークルが登場したり、あるいは開発されたりしている状況だから、「戦争のロボット化」という指摘、間違いじゃない。

こういう話になると、出てくる指摘というのはたいていパターン化している。ひとつは「民生用に開発したロボット技術を軍事利用するとは怪しからん」というもの、もうひとつは「ロボット化が進めば、気軽にボタンを押すだけになってしまって戦争への敷居が下がる」というもの。

ホンマか ?


まず前者についていえば、以前に「松下電器はパソコン兵器の回収を、だって !?」で書いたことの繰り返し。民生品のハイテク化が進んだことで、軍民兼用 (いわゆる dual-use) テクノロジーが一般的になっているのが実情。

だから、軍事利用するつもりがなくて開発したテクノロジー、あるいは製品であっても、「これは使える」となれば軍事利用されてしまうのはよくある話。たまたま、その中でも松下の Toughbook が目についたもんだから、格好の電波ネタにされてしまっただけ。そんなこといったら、COTS (Commercial-Off-The-Shelf) はすべてダメということになってしまう。

第一、テクノロジー自体が同じものであれば、軍事転用を阻止するのは物理的に不可能。ピックアップトラックがレジャー用になろうが「テクニカル」に化けようが、メーカーが手を出せないのと同じ。だからハイテク製品の輸出規制は難しい。

中には、インターネットのように軍事研究から民間にスピンアウトして普及した後、そこで使われている TCP/IP が逆に軍用ネットワークに取り入れられる、一種の出戻り事例まで発生している。さて、この「TCP/IP 兵器」についても回収を求めなければならないのだろうか ? (え

COTS 化がダメ、すべて軍用製品は独自に開発しろなんてことになったら、その分だけ開発・維持・アップグレードにかかるコストが上昇する可能性が高いと思われる。それは国防予算を増やす結果になってしまい、却って逆効果ではなかろうか。

嫌味はこれぐらいにして、「ロボット化で戦争の敷居が下がる」という話について。

ロボット化といっても、無人ヴィークルが完全自律化して、自分で目標を捕捉・識別して、勝手に決心・交戦することはないのが普通。拙著「戦うコンピュータ」でも書いたけれども、コンピュータに勝手に戦争を始められてはたまらないから、"man-in-the-loop"、つまり決心・交戦の過程で人間を介入させるのが普通。MQ-1 や MQ-9 といった武装 UAV の場合、センサーが捕捉した映像は地上管制ステーションを操作するオペレーターが目視確認して、それから攻撃の指令を出す。

実はこれが裏目に出て、UAV オペレーターは自分が発射を指示したミサイルや誘導爆弾が敵の建物や車両、敵には生身の人間を吹っ飛ばす現場を「実況中継」で見せられる羽目になっている。そのせいで、UAV オペレーターのメンタルヘルスが問題になっている昨今。

果たしてこれを「敷居が下がった」というのは正当だろうか。むしろ、自分が撃った砲弾が敵陣を破壊する現場を目視することが少ない砲兵の方が、まだマシじゃないだろうか。もっとも、最近では敵陣の上空に UAV がいて実況中継することがあるから、砲兵も似たようなものかも。

あと、陸戦で用いられる無人ヴィークルは IED 処分、あるいは建物内部などの偵察に用いるものが大半で、戦車や歩兵戦闘車の代わりになれるような無人戦闘車両は、まだしばらくは出てこない。武装化した無人車両の開発プログラムは存在するけれども、武装はせいぜい機関銃か擲弾発射機程度であり、歩兵の近接戦闘と似たようなもの。

つまり、歩兵が敵弾に身をさらす代わりに無人ヴィークルを先行させるものの、結局のところ敵兵と交戦することに変わりはないわけで、敷居が下がったといえるかどうか。それに、リモコン操縦なら無人ヴィークルが敵兵を撃ち殺す現場を実況中継で見せられる羽目になる。

こういうことを書くと、「味方の犠牲が減るから敷居が下がる」という反論が出てきそうだけれども、敵・味方を問わず、交戦で死者が出れば何かしら批判する人は出てくるのだから、大勢に影響はないように思える。第一、何でも最後には "boots on the ground" で、生身の人間が乗り込んで制圧しないと片付かないのだし。


現実問題として、COTS にしてもロボットの件にしても、反対して止めさせれば世界に愛と平和の千年王国がやってくる、というものではない。結局のところ、争いごとの種があれば、いくら武器の流入、あるいは技術について規制しても、当事者は抜け穴を見つけ出すもので、全然歯止めにならない。

言い方は悪いけれど、兵器に対する規制というのはたいていの場合、自動車レースのレギュレーションみたいなもので、規制する側と抜け穴を探す側のいたちごっこになりがち。何かを規制しただけで問題解決、紛争が減りました、なんてことにはならない。

結局のところ、この手の批判というのは湾岸戦争のときに出てきた「戦争のゲーム化批判」と同じで、「イチャモンをつけることに意義がある」の一例。一見したところではもっともらしく思える話を持ち出して、とにかく軍事に関連するものには何でも反対、反対を叫ぶためのネタがあれば何でも良かった、という程度のレベル。

例えていうならば、人間が棒きれで犬を威嚇したときに、犬が棒きれにばかり噛みついて、棒きれを振り回している人間のことを忘れ去っているようなもの。
そして、争いごとの根本原因についてどういう認識をしているかというと、「政治的解決を」とかなんとか抽象論に終始してみたり、「無防備なら攻撃されない」と寝言をいってみたり。とにかく手当たり次第に軍事に関連するものを否定していればよい、という思考停止パターンでは、世界は決して平和になりませんぞ ?

批判するにしても除去を画策するにしても、その対象は道具ではなくて、根っこの原因であるべき。そして、根っこの原因をいきなり消し去るのは難しいから、まずは争いがエスカレートしないように抑止するところから始めて、段階的に火を消すようにしないと。

ただ、戦争そのものを取り除くことはできなくても、戦争に付随する悲惨さを抑制する、という考えはあり。古くは BC 兵器、最近だと対人地雷やクラスター弾に対する規制は、その一例といえそう。

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