Opinion : それって美的感覚の問題ですかあ ? (2009/8/31)
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先日、軍事雑誌関連の編集者・ライター・カメラマンが集まる宴会に行って飲んだときに、(よくある話だけれど) あれが好きとか、これのデザインがどうとかいう話になった。
こういうのって純然たる個人的主観の問題だから、人によって好みはバラバラ。ある人が「格好悪い」というものを、別の人が「いや、とても格好いい」といいだすのはよくある話。
たとえば F-16 なんか派生型が多いから、格好のネタになる。初期型のスレンダーで身軽なモデルを好む人もいれば、最近のブロック 60 みたいにドーサル スパインと背中に背負ったコンフォーマル タンクでゴテゴテの方がいいという人もいる。個人的な好みでいうと、間をとってブロック 30-50 あたりがいちばん好き。って、誰も聞いてないか。
無論、戦闘機に限ったことではなくて、AFV でも艦艇でも、人によってデザインの好みというのは実に千差万別。それが面白くもあり、ケンカの元でもあり。
もちろん鉄道車輌や自動車だって例外ではない。N700 系なんか、最初に模型の写真が公表されたときには「なんじゃこりゃー !!!」と思ったけれど、最近はだんだんと見慣れてきて、そんなに違和感を感じなくなった。それに、角度によってはなかなかいい顔をしているかも知れない、と思うことすらある。
特に現物ではなく写真の場合、撮影の際に使用したレンズの問題が絡んでくるので難しい。N700 系なんかは、個人的には広角レンズでノーズの長さを演出する方がスマートに見えてイイと思う。300mm 級の望遠レンズで撮ると、圧縮効果のせいでノーズの長さがまるで分からなくなってしまい、ドンくさく見える。
こうなってみると、人間の美醜の感覚って、ホント分からないもんだと思う。ある時には不細工だと思ったものが、見慣れてきたり、あるいはデザインの背後にある機能について知ったりすることで、格好良く見えてくることなんてザラだから。
多分、今は「なんじゃこりゃー !!!」と思っている E5 系も、あと何年かすれば違った見え方をするようになるんじゃなかろうか。さて、五代目レガシィはどうだろう ?
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なんてことをウダウダと書いたのは、この話がひっかかったため。
「ダムマニアは美的感覚が貧しいか本質を見抜く力が無い - 長い正夢 - Yahoo!ブログ」のはてブ
ダム建設の是非について論じるのは個人の自由だから、「賛成」でも「反対」でもアリだと思うけれど、そこに「美的感覚」なんていう言葉を持ち込んだのはどうなんだろう。これが「ダムの建設費はいくらかかる。それに対して、ダムを建設しないときに発生する可能性がある災害の被害額はこれぐらいと推定される。したがって」と論じるなら、何も問題はなかっただろうに。
そもそも、上の方で書いた戦闘機や新幹線の話と同じで、ダムといってもいろいろある。日本国内にあるダムの数といったら、大小取り混ぜて 2,500 ぐらいあるとかいう話。しかも、現場の地形や用途や工法や周辺事情に合わせて「一品モノ」で作るわけだから、ダムの数だけデザインや景観がある。構造が違うだけでなく、洪水吐の配置や数、そこに取り付けるゲートの種類や数、みんな違う。
それをひとからげにして「美的感覚がホンダララ」とかいって論じるのは無理がある。しかも、人によって美醜の感覚は違うのだから。そういう、個人の好みとか主観とかいったモノに依存する話を持ち出して、「ダム好きの美的感覚が〜」なんていうからプチ炎上するわけで、まったくの自業自得。
それに、「素晴らしい自然の景観」にしたって、人によって好みは違う。だから、ある人が「きれいだ」と思う景観が、別の人にとっては「どこが ?」なんてことになっても不思議はない。そこで価値観の押し付け合いを始めるとケンカになる。
形のないものでも似たような話はあって、たとえば音楽の世界でメロディ ラインやコード展開について、人によって好みが違うのは当然の話。そこで価値観の押し付け合いを始めると以下略。
さらに突っ込みどころがあるのは、その「ダムによって埋没してしまった美しい渓流」に、どうやってアクセスするんだろう、という話。
SAS の選抜訓練、あるいはハセツネなんとかいうイベントみたいに、自分の脚で山の中を、それもクロスカントリーでせっせと走ってアクセスするならともかく。その「美しい渓流」までクルマでアクセスするのであれば、その際に通るはずの道路の建設についてはどうなのよ、と突っ込まれそうだ。
つまりは、自分が批判している対象に護ってもらっていることに気付かないで (あるいは意図的に無視して)、批判して格好イイ思いができるところだけ "つまみ食い" しているのではないかなあ、なんてことを考えてしまった次第。
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