Opinion : プライドと自信のマトリックス (2009/10/12)
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プライドといっても、格闘技の話でも森川美穂の歌の話でもなくて。
人間、多くの場合に「何らかの形で他人に評価されたい」と思うものだし、なにがしかのプライドを持っている人も多いと思う。それは別に悪いことではないけれども、プライドが邪魔をすることも少なくなさそうで、匙加減が難しいところ。
たとえば、本人が「凄いことをやった」とか「凄い力量がある」とかいう考えを持っていても、実はそれが単なる井の中の蛙で、外から見ると全然凄くもなんともなかった、というのはありがちな話。そのことを知って「もっと頑張らなければ」となる人もいれば、「どうして俺様が評価されないんだ」と逆ギレする人もいる。
多分、どの世界でも上を見ればキリがない。個人的には、スキーにハマってから、そのことを存分に思い知らされた。上手い人って、横滑りひとつ取っても全然違うし、それをビデオで見て打ちのめされたことがある。
ただ、だからといって all or nothing になる必要はなくて、「最高レベルではなくても、全体の中である程度のレベルには達している」という形で自信を持つのはありだと思う。また、そこでひと踏ん張りして、さらに上を目指そうというモチベーションにもつながるのではないかと。
問題は、そういう考え方ができなくて、自分がやっていることのレベルが大したことない、あるいは明後日の方に行ってしまってスットコドッコイなのに、「俺様は凄い、もっと評価されて然るべきなのに世間は評価してくれない」と、へんてこりんなルサンチマンを抱いてしまった場合。
ただ、それが果たしてプライドだけに起因する問題なんだろうか… といったところで考えてみたのが、プライドと自信のマトリックスという話。2×2=4 通りの組み合わせが考えられる。
自信を持っていてプライドもある人 : これはいいと思う
自信を持っているけどプライドはない人 : あまり聞いたことがない
自信はないし、プライドもない人 : ノーコメント
自信はないけれど、プライドはある人 : いちばん始末が悪い
自信というのはおそらく、経験・知識・実践を積み重ねることによって、少しずつ積み上がっていくもの (そういう理由により、ここでは「根拠なき自信」は自信として扱わない)。
だから、いろいろ実践したり経験したりする過程で自信を積み上げていくことで「これなら任せろ」といった類のプライドにもつながっていく。これは分かる。ところが、経験も自信もないのにプライドばかり高い人もいる。
最近、よく見かけるのは「ぼくのかんがえたすごいアイデア」を blog に書いたら炎上した、なんていう事例。なにしろプライドだけはストリーク イーグルのように急上昇しているから、批判されることについては我慢ができない。
この手の人は往々にして、裏付けや土台になるものを積み上げて、自分の考えとして咀嚼するレベルに至っていない。一足飛びに「すばらしいけつろん」を唱えるばかり。だから、「○○さんがこういっています。私もそう思います」といってコピペやリンクをするのが関の山。それでは突っ込まれてあっさり撃沈されても無理はない。
しかも、プライドだけは高いせいで、批判や突っ込みがみんな自分に対する攻撃に見えたり、誹謗中傷に見えたり、自分の人格や存在そのものが否定されているように見えたりする様子。多分、「俺様はこんなに素晴らしいことを主張しているのに、どうして批判されるんだ」という心情があるのではないかと推測してみたけれど、どうだろう。
ところが現実には、なにしろきちんと筋道立てて反論できるだけの土台がない。だからこそ、逆ギレしたり、「法律で規制しろ」といってみたり、コメント削除を連発したり、「発言抑止は当然」なんていってみたりする。あと、膨れ上がったプライドを支えるために、むやみに相手を見下した態度をとるパターンも、よくある。
多分、自分に自信がある人は、それほどまでに必死になって自分を高みに置こうとしないんじゃないかと思う。そうまでしなくても自分を支えられるだろうから。それであれば、自分で自分のことを (卑屈にならないように - これが実は難しそうだけれど) お笑いにしてしまう余裕もできるのではないかと。
逆にいえば、常に自分が持ち上げられて、評価されて、「すごーい」といってもらえないと満足できない人は、実はプライドばかり高くて土台が脆弱なのかも知れないなあ、なんてことを、某所におけるやりとりを見ていて感じた次第。多分、電波ブロガーと呼ばれる人には少なからず、そういう人が含まれていそう。
ひょっとすると、陰謀論に飛びついたり、「報道されていないこんな新事実を私は知っている !」と自慢したりするのも、自信による裏付けがない状態で砂上の楼閣みたいなプライドばかりが育ってしまったせいなのかなあ、と思ってみたけれど、真相やいかに。
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