Opinion : 信頼されるということ (2009/12/28)
 

八方美人 = 白馬八方尾根にいる美人のこと (うそ)

という冗談はともかく。誰にでもいい顔をしようとすると、結局は虻蜂取らずになって、誰からも相手にされなくなりはしないか、と思う。「誰からも好かれる」「誰からも愛される」「誰からも信頼される」は理想だけれども、人によってモノの見方・感じ方がさまざまである以上、それは極めて難しい。

まして、異なる立場・見方・感じ方が入り乱れて対立している中で落としどころを探ろうとすれば、その過程での妥協や調整は必須だろうし、時には自分が悪役になって丸く収める、なんていう工夫が必要になることだってあるだろうし。そういうプロセスを経て結果を出していく過程で、信用とか信頼とかいったものが培われるのだと思う。


なにも物書き業に限ったことではないだろうけれど、仕事の際にそれぞれの立場や見方や思惑が違うせいで、意見が対立することがある。ありがちなのは、「○○は△△するべき」とかいった形で、まず結論だけが出てくること。そこで「いや違う、××するべき」と、これまた結論だけ持ち出して反論したら、話はなかなか収まらない。ヘタをすれば決裂する。

多分、結論だけ並べるのではなくて、「どうして△△するべきなのか」「どうして××するべきなのか」という背景事情やモノの考え方までぶちまけることが必要。それで、互いに何を望んでいるのか、何なら譲歩する余地があり、何は譲れないか、といったところを明確にする。そうやってこそ、落としどころを探る余地ができる。

企業間の交渉とか、あるいは外交交渉とか、最近のネタだと米露間でやっている核軍縮交渉とか、みんなそうやって話をしているのではないかと思うのだけれど、どうだろうか。一方の当事者が自分の言い分だけを一方的に押しつけた場合、よしんば当座は成功したとしても、後できっと揉め事のタネになる。

もっとも、反対に「どこをどうつつけば相手が折れざるを得ないか」と検討する手法も、それはそれでアリだと思うけれど。ただし、それで遺恨が残って後日の紛争の種を撒くリスクもあるのが、難しいところ。

もし、何か事情があって先に決まった話を御破算にしたい、別の内容に切り替えたいというのであれば、相手が納得できるような内容の、あるいはせめて相手が話に応じる余地がある代案を持っていかないと、話にならない。単に「御破算にします、代案はまだありません、これから決めます。でも私のことは信じてね」って、そんな話があるかいな、と。

長々とイントロを書いてきたけれど、普天間代替基地問題について鳩山内閣がやってることって、早い話がそういうことでしょ ?

もともと、いろいろな立場からいろいろな意見が出てきて紛糾しやすい問題。しかも軍の基地が絡む問題は、外交・内政・経済と、関わるファクターが多い。そんな複雑怪奇な問題について、まがりなりにも双方の当事者が納得できる (または納得できる余地がある) 落としどころを捜すだけでも大仕事。
それをポンと御破算にして別の落としどころを見つけるなんて、簡単にできるハズがない。それなのに「まだ代替案はないけれど、私を信じてくれ」はないだろうと。こちらの都合だけ一方的にまくし立てて、相手が納得する訳がない。

自民党政権時代の話を反故にするつもりで「政権交代」を旗印にして何年もやってきたのに、民主党の影の内閣だかネクスト大臣だかは、これまでいったい、何をしていたんだろう ? 野党をやっているうちに、来るべき日に備えて準備万端整えておくぐらいのこともできないで、政権担当能力がどうしたって ? (同じことは、今の自民党にもいえるけれど)

信用とか信頼とかいうのは、日々の地味な行動の積み重ねで作られるもので、口でお願いして作られるものではないと思うのだけれど。仕事だってそうでしょう。何も実績がないうちに「私を信じてくれ」といったって無理で、コツコツと実績を積み重ねてこそ頼りにされるようになる。


そういう意味では、たとえばイラクやアフガニスタンでやっている軍・警察の再建と育成にも、似たところがありそう。

あれも、「頼りにしてくれ」「信じてくれ」と口で言うだけでは駄目で、当事者が実績を積み重ねて、国民に信頼される状況を作っていかないといけないはず。そればかりは、NATO 諸国などからやってきた教官連がいくら頑張っても駄目で、一人一人の構成員が自覚を持って、地味な取り組みを継続的にやっていかないと無理。

そこで規律の乱れだとか、あるいは汚職なんかをやっていたら台無しになる。当事者に、そういう自覚があるんだろうかと、ちょっと、いや、かなり心配。

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