Opinion : 報道規制と情報管理に関する徒然 (2010/1/18)
 

どこかの夕刊紙が「鳩山政権叩きは怪しからん、総務相は報道規制すべき」とかいう記事を載せていたと聞いて吹いた。当の民主党関係者がいうならともかく (いや、そんなことになったら、それはそれで大問題だが)、かりにも報道機関に分類されそうなところが「報道規制しろ」とは、自爆行為にもほどがあるというもの。

もっとも、平素に「権力の監視」とかなんとかいっている割には、やっていることが「総理大臣の漢字テスト」状態になってしまうのも馬鹿馬鹿しい話で、それのどこが権力の監視なんだと突っ込んでみたいところではある。

ともあれ、その「報道規制」についての徒然。
この手の話は「どういう場面で規制が必要か」という話と、「どうやって規制するか」という話があると思ったので、その流れで進めてみようかと。


まず、規制が必要な場面。

何でもかんでも報道することが、却って不利益や悪い事態につながるのではないか、という場面がある。そこで自主的に、あるいは "お願い" する形で、規制というか、管制というか、報道を差し止める場合がある。どちらかというと自主規制に分類されるだろうけれど、誘拐事件に関する報道を手控える、なんていう種類の報道規制は典型例。

実のところ、大っぴらにすると却って不利益になるという類の話は、いろいろある。たとえば、情報機関がどうやって情報を収集しているか、あるいはテロ対策の具体的な手法、なんていう類の話がそう。あまりにも大っぴらにされてしまうと、こちらの手の内を晒す結果になって、裏をかかれる事態につながる。苦労して築き上げた情報収集網が一網打尽にされる、なんてこともありそうだ。

兵器のスペックなんていうのもそうで、馬鹿正直に本当のデータを出す必然性は薄い。意図的に大袈裟な数字を出す、あるいは大袈裟な数字を臭わせる方が好都合ということもあれば、三味線をひいた数字を出す方が好都合ということもあると思う。状況に応じて、どちらか都合のいい方を使えばいい。

一般的には、本当の実力を知られないようにするために、三味線をひいた数字を公表するものだと思う。でも、誇大な数字を出すことで相手をビビらせたり、さらにそれを超えようとすることで相手に無理な負担をかけたり、といった効果を期待できることもあるから、誇大発表も使いよう。ただし、それがばれると悲惨なことになるけれど。

あと、戦争当事国であれば、作戦情報は伏せるのが当然。「今度はどこを攻めに行きます」なんて話が新聞に載るようになったら終わりだ。事後発表にしても、手の内を晒して将来の不利益につながらないように、どこまで情報を出すかは注意しないといけない。

進行中の軍事作戦に関連して好きなように嗅ぎ回られたのではかなわないし、公開する情報に何らかの規制がかかるのは致し方ないところがある。何でもかんでも書き立てられたのでは、敵軍の司令官は新聞を読むだけで仕事が済んでしまう。それに、本当に必要なのは進行中の作戦の詳細を書き立てることなのか ? というところから議論してみてもいいはず。

これは何も軍事作戦に限らず、企業の新製品開発なんかにもいえること。

Microsoft や Intel が将来の製品ロードマップを公表しているけれども、あれは、そうする方が自社の商売にとって有利だからそうしているだけ。なにも、サービス精神の発露としてやっている訳じゃない。第一、ロードマップは公表していても、あらゆる情報を公表しているわけでもないし。


次に、情報のコントロールに関する話。

「クサイ臭いは元から断たなきゃダメ」じゃないけれども、情報が出回った上で「書くな」とやるよりは、そもそも「書かれたくない情報は出さない」という形の方がコントロールしやすい。受け手の側からすれば、目に触れない情報は存在しないのと同じ。

そういえば、USAFCENT の Air Power Summary を見ていると、以前は使用した兵装を事細かに書いていたものが、最近は「ミサイル」と「精密誘導兵器」しか出てこなくなった。多分、AGM-114 と JDAM が大半を占めるのだろうけれど、明記するのと推測にとどまるのとでは意味合いが違う。

あと、ちょうど最近になって話題になっている件だと、中国政府がインターネット経由でアクセス可能な Web サイトを制限したり、サーチ エンジンに検閲規制をかけたりしているのもそう。国民に見せたくない情報は元から断つ構図で、実に分かりやすい。

裏を返せば、その手の規制を何かやっているということは、伏せておきたいネタを何か抱えているということでもある。そういう観点から公開情報、あるいは情報の公開状況について眺めてみると、面白いかも知れない。


そもそも、「知る権利」は、「今、何を知るべきか」という前提があって、初めて機能するものだと思う。何でもかんでも手当たり次第に「知る権利」を振りかざせばいいのか、というと疑問で、むしろ「ここぞ」という場面で発動すべき最終兵器といえるのではないかと。普段から安売りしていると、肝心のところで使えなくなってしまうかも知れませんぞ ?

それに、報道、あるいは情報の収集・分析を商売としている者が「なんでもあけすけに公開されていないと、何も分かりません」ではどうかと。細かい情報を積み上げて、さまざまな方向から交差法で分析するぐらいのことができなくてどうするの ?

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