Opinion : "画期的なこと" を求めない (2010/3/1)
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しばらく前、とある blog で「戦車が必要な理由」についてのエントリを上げたときに、「何も画期的なことを書いていない」とケチをつけている人がいたので吹いた。
安全保障の世界に限ったことではないけれども、いちいち「画期的」とか「奇想天外」とか「目から鱗」みたいな話を求めるのは、実はかなり危険な発想だと思うのだけれど。
たとえば、自分が何か書いたものについて「目から鱗が落ちた」といわれたときには、それはポジティブな評価だろうから、素直に受け取って喜んでおればいいと思う。
ただ、そこからエスカレートして「いかにして目から鱗を落とそうか」「いかにして奇想天外なこと・画期的なことを書こうか」なんてことを考え始めると危険。なぜかといえば、ついつい調子に乗ってしまい、ウケ狙いから脱線・暴走に走る可能性が高まるから。
おそらく、日々の仕事でも軍事作戦でも国の政策でも企業の経営でも似たところがあるはず。つまり、常識的に考えた結果として「サプライズ」になるのはともかく、最初からサプライズを狙う、あるいはサプライズを連発していないと評価や結果を維持できないのは問題じゃないかと。
ちょっときつい言い方をすれば、奇手・妙手に頼るのは「持たざる者のやりくり算段」でしかないのだから。誰だったか「軍事は常識の学問である」と喝破した方がおられたけれども、まさに金言。
確かに奇手・妙手の方が目立つけれども、世の中、普遍的なもの、常識的なもので動いているケースの方が、圧倒的に多いのでは ? 目立つケース、人目を引くケースが普遍的とは限らない。むしろ、普遍的ではないから目立つわけで。
たとえば軍事作戦であれば、彼我の戦力や過去の教訓を検討して、味方に十分な戦力と物資を割り当てて、確実性が高い正攻法で攻めるのが常識的なやり方。それでうまくいくのであれば、それが最善。だから、部下に十分な戦力・物資を与えるのは上に立つ者の責務。
ただし、この「正攻法」とは「大軍を投入して力押しにすること」とは限らないので、そこのところは誤解しないでいただきたいところ。相手の弱点を見つけて手持ちの戦力を集中することで、局地的優位を実現して敵を崩壊させる、という正攻法だってあるわけだから。
要は、そういう方法が通用する場面かどうかの判断を誤らないことが重要。ときには、とにかく頭数がモノをいう場面もあるから。
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逆に、「数が少ないのは知恵を絞ってなんとかしろ」とか「いかにして、少ない戦力で奇手・妙手に頼って勝つか」なんて方向に行くのは、所詮は持たざる者のやりくり算段。それでうまくいくこともあるかも知れないけれど、常にそれで解決するよう求めるのは単なるギャンブル。
冒頭で引き合いに出した「画期的なことが書かれていない」という物言いも同じで、画期的なもの、あるいはサプライズでないと反応できない、常識的な解説では納得できないということであれば、それはどうかと。単に刺激を求めているだけに過ぎないと思うから。世の中、案外と常識的な考え方の方が見過ごされているのでは。
たまたま、自分は物書き業をやっているけれど、こういう仕事をしていると「画期的なネタで一発当ててベストセラーに」という誘惑に駆られることがある。でも、上に書いたような理由により、それは避けたいというのが個人的なスタンス。それは、一発狙いがギャンブルだとかいう話だけでなく、画期的なネタで一発当てた後が怖いとも思うから。
多分、何か画期的なネタで一発当てて注目を浴びると、同じ路線で引っ張るよう求められる可能性が高くなる (周囲がそれを期待するのは、よくある話)。でも、同じことばかりやっていても目立たなくなるから、どんどん刺激を強めなければならない可能性が大。そうやっているうちに収拾がつかなくなって、落とし穴にはまるリスクが増すのでは… と思うから。
だから、いきなりドカンと満塁本塁打を狙うよりも、単打でコツコツ当てていく方が良いと。そんな中で、地味で埋もれがちだけれども重要なネタを掘り下げていくのは面白いんじゃないか、なんてことを考えている今日この頃。
ふと思ったけれど、画期的とかサプライズとか刺激の強さとかいったものを求めるのって、シャープネスがバリバリに効いたデジカメ画像を求めるのと似ているのかも知れないなあと… え、全然関係ない ? (爆)
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