Opinion : 血の気が足りない ? (2010/3/15)
 

先週の金曜日、しばらく椅子に座って PC を使っていて、ひょいと立ち上がろうとしたら左足が痺れてしまっていた。その状態で無理に立とうとしたら、思い通りに動かない左足を変にひねってしまったようで、足首を「グキッ」とやって、腫れ上がってしまう事態に。

といっても、本当に何か致命的な事態になっていたら歩けなかっただろうし、日曜の午後には腫れも痛みもほとんど気にならないレベルまでひいたので、大した事態ではなかった模様。そして月曜日には、ほとんど原状復帰した。

ただ、しばらく同じ姿勢で座ってるだけで脚が痺れるぐらいだから、ひょっとすると血の気が足りないのかなあと。それが気になるところ。


本当に血の気が足りないのかどうかはともかく、精神的な意味で血の気が足りないのは確か。どうみても「熱血」なんて枕詞がつくタイプではないし、自分がどう見てもそういうタイプではないという自覚もあるし。だからこそ、ハルゼー提督よりもスプルーアンス提督みたいなタイプを、なんて思ってしまう。

そういえば、自分が運転しているクルマがトラックに蹴飛ばされてクラッシュしたときにも、自分で「なんで ?」って思うぐらい淡々として、落ち着いていたのが謎。以前に似たような経験があればともかく、そんなことはなかったのに。

もちろん、熱血な人を必要とする場面だってあるから、誰も彼もが冷静に・淡々とした人になられてもどうかと思うけれど、少なくとも自分がそういうキャラではない以上、それならそれで冷静・淡々を極めたいと。それが、精神的な意味で血の気の少ない人間に相応しいんじゃないかと。

実際問題として、熱くなり過ぎて拙速に事を運ぼうとした結果、却ってぶち壊し、なんていう事例はありそう。何事も、適切な状況やタイミングというものがあるので、それを見極めずに熱血スピリットで突っ走ると、むしろ要らぬ摩擦を引き起こす。そして、後になって「時代に先駆けすぎた」とか「不遇な先駆者」とかいう呼ばれ方をしても、あまり嬉しくない。

むしろ、ジッと状況を見て、ここぞというところで動けるぐらいでないと。いっていることが正しかったとしても、それを持ち出す「場」や「タイミング」、あるいは「手段」を間違えると、却って目的から遠ざかってしまう。直ちに改革や変化を実現できなかったとしても、「今すぐに改革や変化を」と突っ走って駄目にするよりは、最終的に実現できる方が良い。

あと、感情移入しすぎて冷静な判断ができなくなっている人、組織、あるいは国家、なんていうのもありそうな話。ことに安全保障問題では、この手の事例が目立つような気がする。いいかえれば、感情の部分に偏重したアピールを仕掛けてくるようなキャンペーンなんかは、実は疑ってかかった方がいいのかも知れない。

この二つの話、別個の話のように見えるけれども、精神的な意味で血の気が少ないというか、「常に冷静に、淡々と物事を眺めることができる人であれば、問題を回避できるのでは」という点では共通していると思う。

何年か前、「戦うコンピュータ」を出したときに、「淡々と書かれている」という書評をどこかで目にしたことがある。著者本人は、あれでも「ちょっと熱くなり過ぎたな」と思っていたのに、淡々として見えたらしい。

個人が趣味として書くものなら、熱くなって思い入れが満載でも、何も問題はないと思う。ただ、職業物書きが商売で書くものであれば、あまり熱くなり過ぎるのもどうだろう、と。以前に blog でもチラッと書いたような気がするけれども、特定のモノとか組織とか国家に対する思い入れ、個人的な趣味・趣向はできるだけ排除して、冷静に淡々と観察・分析して書きたい、というのが個人的な理想。意識していても、なかなか実現できないものだけれど。

もしも自分が熱くなっているときでも、その熱くなっている自分をもう一人の自分が冷静に眺めていて、やばくなったらブレーキをかけられるぐらいで、ちょうどいいんじゃないかと。ことに安全保障問題では必要以上に熱くなる人が多いからこそ、できるだけ淡々と書きたい。


組織や国家の場合、先にも書いたように、熱くなっている人がいる一方では、常に冷静さを失わずにいられる人もいないとまずい。急進的改革派だとか、あるいは過激派だとか、そういうラジカルな人ばかりだと、組織や国家が暴走する原因になるんじゃないかと思うから。

ただ、部下が冷静でも上司が熱くなっていたのでは歯止めが効かないので、部下が熱くなっても冷静でいられる上司という組み合わせの方が、問題が少ないはず。上司、特にトップが先頭に立ってヒートアップするのは最悪。

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