Opinion : 理想が理想の邪魔をする (2010/4/12)
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なんだか、判じ物のようなタイトルを付けてしまったので、ちょっと解説。
個人でも組織でもいいけれど、何か理想を掲げて、その理想を実現するために運動するとか、何らかの施策を講じるとかいうことになった場合の話。それで物事が理想とする方向に近付く、あるいは理想が実現すればよいけれども、世の中案外と、そう上手くいかないもの。ときには、却って理想と逆の方向に動いてしまう場合すら、あるかもしれない。
それが、「理想が理想の邪魔をする」という話。特に安全保障が絡むと、その手の話が目につくような気がする。
たとえば、古今東西、戦争を起こさないために、あるいは戦争を再発させないためにといって、軍縮条約に代表されるような軍備制限を行ったり、国家間の枠組みを作ったり、ときには特定国家の軍事力を強制的に制限したり、といったことが行われてきた。
ところが、それで目論見通りに話が進めばいいけれども、戦争防止のためにやったことが、実は次の戦争の火種を撒いていた、なんていうことがままある。もちろん、当事者にそういう悪意があったわけではないにしても。
核軍縮にも似たようなところがあると思う。もちろん、先日に米露間で調印された新しい核軍縮条約は歓迎すべきものだし、(絶対数はまだまだ多いとはいえ) 核弾頭の総数が現在の水準からさらに減るわけだから、これは悪い話のはずがない。
そもそも当節、世界を何回も滅ぼせるほどの核兵器が要るという状況ではない。相互確証破壊理論に基づく抑止の枠組みを維持しつつ、段階的に総数を減らしていくというのは現実的で、かつ理に適ったアプローチ。ただ、「"核のない世界" なんてことをいっておきながら、1,500 発も抱え込む状態で合意・調印するなんて話が違う」と怒る人がいるかも知れない。
実は、そういう考え方が問題で、理想が理想の邪魔をする事態につながってしまう。なぜかといえば、核保有国に対して核兵器の放棄・廃棄を迫っても、それだけでは問題の解決にならないから。「核兵器を持っていれば一流国として認められる」とか「核兵器を持っていれば攻撃されないに違いない」とかいうことを考える国がある限り、核兵器の保有を目指す国は出る。それでは、いつになっても核廃絶は実現できない。
それどころか、「これまでの核保有国は核兵器を廃棄しました。ところが、新たに核兵器を保有する国が出てしまいました。それに対する抑えが効きません」なんていう間抜けな事態になったらシャレにならない。そこのところを承知しているからこそ、アメリカ政府の新しい核政策では、核疑惑でもめているイランと北朝鮮を「核攻撃の対象から除外しない」といっている。
核兵器を使えば悲惨なことになるのは事実。それであれば、まず目指すべきは「核兵器を使わせないこと」であって、その次のフェーズが「核兵器でなくても済むようにすること」、そして「核廃絶」はその後の話。無論、核兵器を廃絶すれば「核兵器が使われない」という目的は実現できるけれども、現実的に達成可能なのは、まず「持っていても使わない」状態にすること。
そして、「核兵器を使わせないこと」を実現する手段として、核抑止理論がある。また、抑止が成立しそうにない相手に核兵器を渡さないことも重要で、そこで核兵器を含む大量破壊兵器の拡散阻止という話が出てくる。
つまり、まずは「拡散阻止」と「抑止」によって、核戦争という事態を遠ざけること。その枠組みが安定したところで、いきなり数的バランスや信頼醸成の枠組みを崩さないように注意しながら、徐々に (これ重要) 核弾頭の総数を減らしていくこと。そうすることが、時間はかかるけれども、最終目的に近付くには最短のルートじゃないかと。そこで短兵急に核廃絶を目指そうとしても、前述のような「抑えが効かない」話になれば、理想に逆行してしまう。
たまたまタイムリーなネタだったので、核抑止の話をネタにしたけれども、他の分野でも似たような話はありそう。一例を挙げるならば、「エコのつもりがエコに逆行してました」なんて話は、案外と存在していると思うのだけれど、どうだろう ?
実は、「理想が理想の邪魔をする」理由はもうひとつある。高い理想を掲げる人は往々にして宗教的になってしまい、意見が合わない人に対して過度に攻撃的になったり、排他的になったりする。それが結果として、掲げる理想に対する支持までなくす結果になるので、これまた「理想が理想の邪魔をする」。
ひょっとすると、「理想とする状態の実現」と「理想の実現を妨げるものの排除」がこんがらかり、後者の話がメインになってしまうと、理想が理想の邪魔をする状態につながりやすいのかも。
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