Opinion : 成果主義に関する徒然 (2010/5/17)
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ネット上でチョイチョイ見かける主張のひとつに「成果主義批判」というのがある。多分、「小泉改革」が世間を賑わせていた時期あたりから目立つようになったのではないかと思うが、その辺の記憶はあやふや。
たいてい、成果主義を導入してグダグダになった某社の話とか、あるいは格差の拡大とかいったあたりの話と絡めて、成果主義なんてダメだ、という結論に持って行っているような印象がある。
そこで、あえて書いてみたい。「成果主義がいけないのではなくて、成果主義の運用の仕方に問題があるんじゃないの ?」と。
自分は過去に、成果主義の権化みたいな会社で 7 年ばかり働いていた。半年ごとに目標設定をやって、それを達成できたかどうかはさらに半年後、上司との膝詰め面談の席でさらけ出される。評価は基本的に目標に対する達成度で決まるわけだから、そこで問題なのは、最初の目標設定をどうするかという話。
つまり、「最初に目標を設定して、それに対する達成度で評価する」という尺度を持ち込むのであれば、その制度を活かすも殺すも、目標設定の合理性にかかっている。現実的な「成り行き目標」+ α の範囲であればともかく、さらに過剰に上積みしたり、成り行き目標からさらに割り引いたりする事態が横行すると、成果主義は能書き通りに機能しなくなる。
過去の実績、あるいは自分の能力見積もりを基準にして、確実に達成できそうな目標を設定すれば、達成率が 100% を上回る可能性は高くなる。それは確かに安全パイだけれども、それだけでは進歩がないし、結果的に自分で自分の進歩を止めてしまう。さらに安全策をとりすぎて、目標ラインを不必要に下げてしまうのでは、進歩どころか退歩につながる。
だから、その「確実に達成できそうな目標」に対して、さらに幾ばくかの努力目標を上積みするのが、現実的なラインだろうか。どの程度まで上積みするかは、会社や部門の目標みたいな外的必要性と、個人的な目標レベル・達成可能レベルの見積もりを突き合わせて決めるのが本来のあり方。
ただ、その上積み分が過剰だと、目標を設定した時点で「達成不可能」と見てやる気を殺ぐ可能性があるし、そうでなければ無理がかかって本人が壊れる。そこで問題なのは、本人が調子に乗って無理な上積みをした場合と、外的要因によって無理な上積みを余儀なくされた場合の 2 種類があり得るということ。
なにも商売の話に限らず、あちこちの分野で同じような話はある。たとえば軍事作戦にもいえることで、手持ちの戦力・装備・物資に見合った目標を割り当てるのならともかく、無茶な目標を割り当てれば多数の人命が損なわれるし、国家の命運にも関わる。交通機関で需要に見合った輸送力を確保できないと、ダイヤが乱れてグチャグチャになったり、積み残しが多発して顰蹙を買ったりする。これらもまた、目標をどうやって設定するかが重要、という話。
もっとも、当事者にはコントロールできない外的要因を押しつけられる場合があるのが難しいところ。だから、たとえば作戦を指揮して失敗した指揮官がいた場合に、指揮官の采配に問題があった場合と、そもそも割り当てられた作戦に無理があった場合があるはずで、そこのところの区別は必要。
あと、設定した目標を達成できなかったときに「達成できなかったからダメだ」というだけでは、それこそダメなわけで。どうして達成できなかったのか、どうすればその問題を解決できるか、というところまで話をできる環境がないと、成果主義は成果主義として機能しない。
だから、目標設定のあり方・外的要因への対応・事後評価のあり方といったところで問題を抱えている組織が、そのことを認識しないままで、あるいは何か別の動機 (たとえば、人件費を引き下げる名目に使いたいとか) で成果主義を導入すれば、それは最初から失敗が約束されたようなもの。
そういうところまで考慮に入れた上で「成果主義批判」をしている人が、いったいどれだけいるのかなあ、というのが個人的な疑問。単に「成果主義」という考え方が嫌で、批判したいがために失敗事例に飛びついてるだけじゃないかという印象が拭えない。
フリー稼業の身としては、MSKK 時代の「半年ごと」どころか、ひとつの仕事ごとに業績評価をやっているようなもので、成果主義の極めつけ。もちろん、そのことは承知の上でフリーに転じたのだから、文句はいわない。ただし、「それは現実的にいって無理」と思ったことは、ちゃんとそういうようにしている。そうやって「馬鹿げた目標」を排除することは、結果的に客先に対しても迷惑をかけないことになると思うから。
問題なのは、自分でウケ狙いの無茶な目標を設定しておいて、それが達成不可能となった途端に、あれこれと言い訳を始めること。その言い訳も、「かくかくしかじかの理由で達成できませんでした。こういう風にリカバリーしたいと思います」ならともかく、「最初に掲げた目標は絶対的なものではなくて…」とか「そもそも目標を達成しなければならないと決まったわけではなく…」なんていう内容だと大顰蹙モノ。
とどのつまり、まずは自分の稼業が「成果主義的」な評価のされ方をするものかどうかを認識することが必要。そして、成果主義的評価をされるのであれば、目標設定のあり方やその後の評価・対応の仕方についても、そういう評価軸なんだということを念頭に置いて、成功した場合・失敗した場合のことを考えないと。望むと望まざるとに関わらず、結果で評価される稼業はあるわけだから。
なんてことを、「それは正論過ぎる」といわれるのは承知の上で書いてみた次第。
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