Opinion : ガラパゴス考 (2010/6/21)
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確か、携帯電話業界あたりが発端だったと思うけれど、最近、なにかとひっかかりを覚える言葉が「ガラパゴス化」。
私の記憶が確かならば、最初に出てきたのは「日本の携帯電話は日本の市場に合わせて独自の発達を遂げてしまい、海外で通用しなくなった。だから海外市場で他国のメーカーのシェアが高いし、撤退する日本メーカーが出てくる」とかいう話だったと思う。
ただ、この「ガラパゴス化」という言葉、「それが出てくると多くの人が冷静さをなくしてカッカするキーワード」のひとつ。一方では「日本市場/日本製品はガラパゴス化していてダメだダメだダメだ」とヒートアップする人がいる。また、そのバリエーションで、何かにつけて「だから日本はダメなんだ」と主張するためのネタとして「ガラパゴス化」を持ち出す人もいる。
他方では「ガラパゴス化して何が悪い」とヒートアップする人もいる。思うにこれは、「ガラパゴス化していてダメだダメだダメだ」に対するアンチとして出現してきたのではないかと思うが。
ともあれ、どれをとっても、国家とか民族とかいったものに対する帰属心・自尊心が、持ち上げすぎたり落としすぎたりと、両極端な形で出過ぎてるんじゃないの、と感じることがある。もっとも、商売としてガラパゴス論を展開するのであれば、極論に走って刺激的に展開する方が美味しいけれど。
いずれにしても、とりあえず「ガラパゴス化」というレッテルを持ち出すわけだけれど、そこから先の議論が浅くないか、と思うことがある。つまり、ガラパゴス化しているというけれども、具体的にどんな部分がそうなのか、他国と比較してどうなのか。そして、もしも著しい差異があるのだとすれば、それは埋められないモノなのか。
また、日本の市場のすべてが他国から乖離しているのか。乖離している分野とそうでない分野があるのなら、両者の違いは何か。(どちらの方向であれ) 状況が過去と比較して変化した事例はないのか。変化が生じた事例があった場合、その理由は何か。それは普遍的な話なのか、特定の分野に限定された話なのか。
また、差異を埋めるにしても、単に「グローバル標準」とやらに合わせるべきなのか、それは未来永劫にわたって不変のモノといえるのか。変化が生じたときにどう対応するべきなのか。差異を埋めようとしたらどういうアプローチが考えられるのか。7.62mm×51 NATO 弾の件みたいに、根っこのところから変えないと対応できないのか。それとも、コンポーネントやソフトウェアのレベルで対応できるのか。
あと、製品/サービスを手掛ける企業を単位として物事を考えると、その企業が世界的に見てシェアを獲れればよいということなら、異なる市場ごとに最適化した製品/サービスを出すという形でも (それぞれの市場で十分な規模を確保できれば) 目的は達成できるかもしれない。
そういうやり方が通用するのか、それとも、基本的に同一の製品/サービスで全世界をカバーすべきなのか。後者のやり方で上手いことやっている企業としては Apple があるけれども、あれは宗教団体的な部分があるので、あまり他社にとっての参考にはならないか。
ともあれ、そういうレベルの話まで突っ込まないで、単純に全体をひとくくりにして「ガラパゴス化しているからダメだ」とか「ガラパゴスで何が悪い」とかいうだけの話に終始していても、永遠に水掛け論に終始するだけじゃないかと。
実のところ、「ガラパゴス化しているから世界で勝てない」も「ガラパゴス化して何が悪い」も、その背景にあるのは「日本企業が世界の市場を制覇するべき」だったり「日本市場の先進性を誇りたい」とかいった形の違いがあるだけで、実はどちらも根っこは同じなのかも。
無論、多数のプレーヤーが血みどろの激戦を展開している状況では「どうして一番にならなければならないのか。二番手でもいいじゃないか」なんていいだした途端に置いてけぼりを食うわけで、そこで少しでも前に出ようと努力するのは必然。
それならなおのこと、現状認識と対処について冷静な議論が必要で、「ガラパゴス化しているから云々」とレッテル貼りして済ませるだけでは問題解決にならない。逆に、「ガラパゴス化して何が悪い」と開き直れば、それはそれで「そのままでも生き残っていけるのか」という疑問が出てくる。
なお、「だから日本はダメなんだ」系の人は、多分、悪口をいえればネタは何でもいいのだろうと思われるので、措いておく。
そういえば、軍事趣味界における定番ネタのひとつに自主開発の是非論がある。そこで国産化論者が「輸入品では日本の国情に合わないから自主開発・国産化するべき」と「日本製の装備は優秀だから海外でも売れるはず。武器輸出の促進を図って生産数量増加とコストダウンを図るべき」を並べて主張したらギャグだね、なんてことを思った。
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