Opinion : 抑止効果というものについて考えてみた (2010/6/28)
 

普天間代替基地問題に関して、話がさんざんこじれた後になって「抑止力の必要性」に言及したのは鳩山前首相。これは極端だとしても、抑止力という言葉、軍事力の必要性を主張する側とそれを否定する側とで、往々にしてもめ事の原因になる。

つまり、必要性を主張する側は「抑止のために軍事力が必要」といい、必要性を否定する側は「軍事力があっても抑止にならない」と主張する。ここまでは、よくある話だけれども、「じゃあ、抑止力って具体的にどんな形で作用するんだろう」というところまで突っ込んでいるケースはあまり多くないかも。

ということで、いささか大きなテーマに対して、ない知恵をあれこれと絞ってみた次第。過去に書いてきた話と被る部分もあるが、「総集編」ということで。


以前から何回か書いていたと思うけれど、国家が保有する軍事力、つまり「政治的目的を軍事行動によって実現する能力」は、「意志」と「能力」の積として表現できると思う。あいにくと、どちらも定量化するのが難しいのが問題だが、そういう考え方だということで。

なぜ「積」かというと、「積」であれば、どちらか一方がゼロならアウトプットはゼロだから、意志だけあっても能力がなければ軍事力にならない、という結論と整合性をとれる (その逆も同様)。

さらに解きほぐして、そのうち「能力」は、「経済力×人的資源×教育/訓練水準×技術力」ではないか、なんていうことを考えた。国家は自らの経済力を超える軍備を維持できないし、人的資源 (頭数) についてもしかり。教育/訓練の水準が低ければ、必然的に能力が落ちる。技術水準が低ければ、これも能力を引き下げる方向に働く。

では、本題の「抑止力」は、これらの要素のうち、どこに影響するのか。おそらく、「相対的な彼我の能力差に関する認識に立脚して、意志の部分に作用する」ということではないかと思う。もっとも、間接的な影響ということであれば、軍備に投じる国力の比率・リソースが経済力などに影響することもありそう。

このうち能力差は、絶対的な尺度ではなくて、軍事力を行使する可能性がある対象との相対的な比較をする必要がある点に注意。極端なことをいえば、30 年前のポンコツ戦闘機しか持っていない空軍でも、空軍というものを何も持っていない国から見れば重大な脅威になる、という類の話。

戦略核兵器を巡る相互確証破壊を例にとると、「戦略核兵器による攻撃が、他方による察知・反撃につながり、結果として両方とも破滅する。そのことを認識することが、核兵器の使用を躊躇わせる」という話。これは、「核兵器の破壊力」という能力を認識することが「核兵器を使用する意志」を抑制して、結果として抑止効果を発揮するという解釈が可能。

通常戦力についても同じで、ある国に対して軍事力を行使したときに、相手の反撃によって多大な損害を被ったり、目的を達成できずに終わったりする可能性がある (これは、先にも述べた相対的な能力比較の問題)、という認識が、結果として軍事力の行使による問題解決を躊躇わせて抑制する、という解釈が可能。

ところが、意志やそれに対する影響、その根拠となる能力差といったものを定量化するのは難しいから、それに対する影響力を定量化するのも結果として難しい。ゆえに、抑止力の有効性を巡っては、永遠に噛み合いそうにない神学論争を展開する羽目になるのではないかという考えになった次第。

この考え方が正しければ、能力だけあっても意志だけあってもダメよね、という話になる。どんなに優れた装備・ドクトリン・訓練といったものがあっても、それを行使するつもりがありません、と宣言する (または宣言したも同然の) 状態であれば、脅威として認識される度合はグッと下がる。また、こちらから軍事力による問題解決を仕掛けません、という意志を示すことで、緊張を緩和するという使い方もある。

ということは、上記の話とは反対に、「軍事力によって問題を解決しようとする意図や行動実績があり、かつ、それを裏付けるだけの能力を持っている国」であれば、脅威として認識される度合が高くなることになる。

ちょうど、これを書いていたら「米韓両国が、戦時作戦統制権移管の延期で合意」というニュースがあったが、これもひとつの「意志」の現われといえる。どこかに軍のプレゼンスを維持するのも、「花火が上がったら介入を辞さないぞ」という意思表示のひとつといえる。

だから、相互交流とか透明性の向上とかいう話に意味が出てくる。得体が知れない、意図がハッキリしない相手は不気味に見えるもの。それを緩和しようとすれば、相互交流とか透明性の向上とかいった話は不可欠。政府高官や軍のレベルだけでなく、一般市民のレベルで自由に相互交流ができれば、これも緊張緩和の一助になる。なぜなら、得体の知れない相手、真意が見えない相手ほど、実態以上に不気味に見えて、恐怖感が煽られるものだから。


そうなると始末が悪いのは、能力がない (または明らかに劣っている) のに、意思だけはあるケースかもしれない。これもさらに 2 種類に分類できて、ひとつは「能力がないことを認識した上で、それでも軍事力で問題を解決しようとする意志だけはあるケース」、もうひとつは「能力がないのに、能力があると思い込んだ上で軍事力で問題を解決しようとする意志を持ってしまったケース」。特に後者は、勝手な思いこみ・思い上がりが原因で暴発する可能性が高い。

そこで注意する必要があるのは、能力の比較。その相対的な彼我の能力差に関する認識を意図的に、あるいは偶然に誤ると、結果として軍事力を行使しても大丈夫、という方向に意志が動く事態につながり、危険度が高くなる。ということは、能力差に関する認識を互いに外さないようにするためにも、相互交流とか透明性の向上とかいった話が重要、という話になる。

ちょっと意地悪なことを書くと、相互交流や透明性の向上に不熱心な国は、ひょっとすると自国のボロが出るのが嫌なのではないか、という解釈が成り立つ (こともある) かもしれない。

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