Opinion : 続・"自主" なら何でも偉いのか ? (2010/10/25)
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尖閣諸島の一件がきっかけになったのか、またぞろ「自主防衛」を唱える声が出てきている模様。「出てきている」というと語弊があって「目立つ傾向が」という方が適切かも知れないけれど。
「自分の国は自分で護る」といえば聞こえはいいけれども、実のところ、それを実現できるのか、実現することにいかほどの妥当性があるのか、というのはまた別の問題。いくらお題目が美しくて立派でも、たとえばの話、そのための負担が大きすぎて国を潰してしまったのでは意味がなくなる。
そもそも、「自主防衛が必要なのかどうか」とかいう話より先に、考えないといけない話はいろいろある。軍事力とは政治力の裏付けとなる力なんであって、日本が置かれているポジションを政治・経済・地政学などさまざまな方面から検討して、どういう立ち位置をとるのかが決まらないことには。ということで、簡単にリストアップしてみると。
そもそも国際社会における日本の立ち位置をどうするのか
現在の国際社会に対して日本がどう向き合い、どう関わっていくのか
その中で想定される状況とは何か
それが日本という国の存立にもたらす影響は何か
もしも存立を脅かす事態が考えられるとすれば、それは何か
それに対応するために、何が必要か
と、ここまでやって漸く、自主防衛のために何が必要かという話が出てくる。国家戦略あっての軍事力だからこそ、イギリスでは国家戦略に関するレビュー報告と国防戦略・軍事力に関するレビュー報告をワンセットでリリースした。そういう話をすっ飛ばして、いきなり「自主防衛」といいだすと、「日米安保の解消」とか「自衛隊の規模拡大」とか「空母や核兵器が要る」とかいう話にすっ飛ぶ。
国家戦略抜きで「超大国みたいな軍事力が欲しい」という話に終始すれば、なるほど「装備はすべて国産化」「空母が」「核兵器が」という話になるのは分かりやすいけれども、それは違うだろうと。要するに、自主防衛を主張する意見の背景って「ミニ超大国になりたい」って話なの ? と。そりゃまあ、それが実現できれば某国ネチズン相手の自慢の種にはなるだろうけれど。
過去に何度も書いているように、国家が持つさまざまなリソースの範囲を超える軍事力は長期的に維持し得ない。だから、前述したような順序で所要の戦力を割り出しても、それが手持ちのリソースからいって実現不可能、ということだってあり得る。そうなったら話を巻き戻して、自前で実現できないものを他国との同盟によって解決する選択肢を検討しないといけない。
せめて、そういう筋道を提示した上で「自主防衛論」をぶってくれれば、ちょっとは説得力が増すだろうに。というのが正直な印象。なにも自主防衛論に限らず、装備国産化論にもいえることだけれど。
だいたい、「他国との同盟関係なんてアテにならない」とか「輸入に頼っていると、いざというときに途絶する危険性がある」とかいってみても、それをいうなら「自主防衛に必要なリソースを自前で支えきれるという保証はない」とか「装備の供給が途絶しなくても、それの製造に必要な原材料・パーツ・コンポーネントの供給はどうなんだ」とかなんとか、突っ込みどころはいろいろある。
ついでに書くならば、モノを開発するだけではダメなので、開発したモノをテストしたり、それを使いこなすために訓練・演習を行ったりするための施設、あるいはそのためのノウハウはどうするんだ、なんていう問題も解決しないといけない。
自主防衛のために必要な戦力を割り出して実現できたとしても、似たような問題か出てくる。たとえば、その戦力を戦力たらしめるための訓練、後方支援、あるいは保全という話はどうするんだと。最新鋭のステルス戦闘機を 200 機揃えることができても、それを飛行場の列線に露天でズラッと並べていたのでは意味がないわけで、戦力の保護・維持策だって考えないといけない。自主防衛論者でそこまで取り上げている人って、どれだけいるだろう ?
少なくとも、厳正中立という看板を掲げているスウェーデンやスイスでは、そこまでちゃんと考えていたように見受けられるけれど。
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国家レベルの話になると、直接的には自分の懐に影響しないせいか、つい調子のいいことばかりいう人が出てくるものだけれど、「自前でやるかどうか」という話はなにも、国防とかいう大きなテーマに限らない。個人レベルでというと、「今夜のメシのおかず」だって同じである (え
理想をいえば、材料を買ってきて最初から自分の手で作るのがよい。そうすれば、内容も分量も味付けも好きなようにできる (装備品の国産化と同じである)。でも、それをやるには費用がかかってしまい、経済的に成り立たないという人もいるだろう。料理にかけられる時間がないという人もいるだろう。
だから、出来合いの完成品を買ってきて済ませるとか、冷凍食品やその他の半調製品を買ってきて自分のところで仕上げるとか、その際にちょっと手を入れるとか、それぞれが自分のお家の事情に合わせて、最善と思われる選択をしている。自分はどうかというと、かけられる時間と費用の問題から、完成品や半調製品に頼る場面が多い。独り者だと、その方が経済的だし。
それと同じことで、国防でも何でも、自前でやることの妥当性・実現性に関する判断が最初にあって、それから自前でやるかどうかの結論が出てくるのが筋。自前でやることを先行させて、周囲の状況をそれに合わせるというのでは、ちと本末転倒ではないのかなあと。そんなことを考えてしまった次第。
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