Opinion : 批判者の矜恃 (2010/12/6)
 

WikiLeaks.org に限ったことではないけれども、既存の権力、あるいは主流派に対して闘争や批判を仕掛けることで「時代の寵児」として持て囃された個人、あるいは組織が、後になって転落する事例が少なくない。興味深いのは、その過程で下半身がらみの問題が出てくるケースがいくつもあること。

なんていうことを書くと、「それは世界を闇で操る陰謀組織が冤罪によって陥れたのだ」と吹かす人が出てくるのはお約束だけれども、それについては真偽の程を確認できないので措いておく。そもそも、そんな簡単に存在が、あるいは陰謀がばれてしまうような組織が、世界を闇で操ることなんてできるのか、という突っ込みもあることだし。

さまざまな事例を観察してみて思うのは、闘争や批判を仕掛ける側が調子に乗りすぎて、自分で墓穴を掘っている側面があるのではないかなあ、ということ。


「権力の監視」という建前があることでもあり、権力に対する批判、あるいは既存の主流派や既得権者に対する批判や挑戦は、マスメディアで好意的に取り上げられやすい傾向がある。それを利用して宣伝戦を仕掛けるのもワザのうちではあるけれども、そうなると、問題が出てくることもある。

たとえば、マスメディアに流す情報をコントロールしようとして摩擦を引き起こすケース。WikiLeaks.org みたいな「暴露系」にありがちな話で、自分が握っているネタを事前にマスコミに流しておいて、盛大に取り上げられるように工作をする。ただ、好き勝手に書かれたのでは具合が悪いから、解禁日を設定するとかなんとか、情報をコントロールしようとする。

その過程で、自分達に批判的なメディアにはネタを流さない、なんていう行動に出るケースが出てくる。全体的な傾向として持て囃されているときには、そういうことをやっても問題になりにくいけれども、何かきっかけがあって批判的なムードが出てくると、いっぺんに掌を返される原因になる。

それと関連して、自分達に批判的な記事を書いたメディアに対して、いちいち強硬に物言いをつけて訂正を求める、なんていうのもありそうな話。これも同様で、やりすぎると愛想を尽かされて、何かのきっかけでバッシングに転じる原因になる。そうなると、利息を付けてお返しが来ることになりかねない。

WikiLeaks.org についていえば、ボスの Julian Assange 氏に対してベネズエラなどが「うちの国に来ないか」といっているそうだけれども、それは目下のネタが「反米」という点で利害が一致しているから。もしも WikiLeaks.org がベネズエラ政府の秘密文書を暴露すれば、いっぺんに逆の状況になるのは間違いなさそう。逆に、それを怖れてベネズエラ政府のネタはばらさない、なんてことになれば、WikiLeaks.org 自身の信念が問われる (そういうものがあるのかどうかは別として)。

最初は持て囃しておいて、後になって掌を返してバッシングに走る側も、相手を見る目がなくて節穴だったんじゃないの ? と批判されてしかるべきではないかと思うけれども、それはまた別の話ということで。

WikiLeaks.org みたいに組織的にやっているケースだけでなく、もっと小規模の市民運動グループとか、あるいは個人のレベルでも、こういった事情はあまり変わらないのではないかと。


結局のところ、「調子に乗りすぎる」という問題があるんじゃないかと思える。批判・闘争そのものについても、あるいはその周辺の事柄やメディア対応についても。

たとえば、何かを批判して成功して持ち上げられたときに、そこで調子に乗ってしまい、さらに批判がエスカレートして際限がなくなり、道を踏み外す。あるいは、いい気になってしまったことで誘惑に負けて脇が甘くなり、付け込まれる隙を作ってしまう、といった具合に。

そういった事態を防ごうと思ったら、自分で一線を決めるというか、一種の交戦規則みたいなものを (なんだそれ) 作っておく必要があるのかも。批判・闘争自体についても、日常の生活などについても。つまり、調子に乗って行き過ぎになってしまったり、あるいは脇が甘くなったりしないように、という意味で。

あと、いったん周囲が「叩き」に転じると、それまでは無視されてきた過去の古傷をほじくり返されることがあるから、平素からそういうものを作らないようにしておくとか、後始末をきちんとしておくとか (特に、カネの話と下半身の話では)。あと、いったん持て囃されるようになると、まわりから「もっとやれ」と煽られることが往々にしてあるので、それを真に受けすぎないとか。

そういう覚悟や取り組みができるぐらいでないと、権力批判・体制批判・既得権に対する批判といったものを本気で達成することはできないのかも知れないなあ、なんてことを考えた次第。つまり、自らをそういうポジションに置くのであれば、通常以上のストイックさ・厳しさが求められるのかも ?

と、ここまで書いたところで気付いたけれど、欧米を初めとする先進諸国の軍隊が軍事作戦を展開する際にも、似た事情がある。交戦規則でも倫理面でも何でも、何かと高い水準を求められやすい。それと比べると、ならずもの国家、あるいはテロ組織や反政府ゲリラ組織の類は、倫理も何も関係なく「やりたい放題」だから。

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