Opinion : 忘れられたターゲティング (2011/1/17)
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mixi ニュースで「殱 20」の初飛行について取り上げた記事と、それに対して書かれた日記のタイトル (および本文の冒頭一部) をチラチラと眺めていたら、「大変だ、日本も対抗するために国産のステルス戦闘機を作れ」と書いている人が何人もいて吹いた。それは脊髄反射にも程がある、というものである。
もっとも、その背景には「F-22 を売ってくれないアメリカは怪しからん」という感情的反発だとか、「国産兵器自慢をやりたい」とかいう心情があるのかも知れないけれど、それはともかく。
この業界では昔から、「○○国が△△を持っている」という話が出ると、対抗して「我が国も△△を持たなければならない」という主張を展開する人が出てくるのがお約束みたいになっている。今回の「国産ステルス機を !」に限らず、「中国が空母を作るというから日本も (以下略)」なんていうのもある。
果たして、相手と同じモノを持って同じ土俵に乗るのが正解なのかどうかは、状況次第、常に正解とは限らないと思うのだけれど。たとえば空母の話についていえば、むしろ日本としては列島線という "不沈空母" を活用すべき、というのは以前から何度も書いている話。
今回の殱 20 の件についていえば、「日本も対抗して国産ステルス機を」というのは話が飛びすぎ。それより先にやらないといけないことがある。それがカウンターステルス技術の確立。相手がどこにいるのか分からないことには、対抗するも何もあったもんじゃない。
「ステルス機に対抗してステルス機を」というのは、一見したところでは分かりやすいけれども、実は相手を発見して正しいタイミングで正しい場所に迎撃機を送り込む作業が、対抗するとかどうとかいう以前の問題として存在する。つまり、ステルス戦闘機が飛来するのであれば、その針路・距離・勢力をできるだけ早く把握して、しかるべき指令を出すのが最初の仕事。機体同士の能力比較はその後の話。
もっとも、「迎撃側は、攻撃されそうな場所で待ち構えていればよい」という論を展開する人がいるかも知れないけれど、展開できる資産には限りがあるのに、その「攻撃されそうな場所」をどうやって決めるんだ、と突っ込めば終了である。
第二次世界大戦のドイツ本土防空戦でも、情報評価を間違えたり囮作戦にひっかかったりして、迎撃機が明後日の方向に行ってしまった事例がある。
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閑話休題。
カウンター ステルス技術が必要だからこそ、防衛省では実際にステルス性を備えた機体を作って飛ばして、「どうやるとステルス性を実現できるのか」「それに対抗するにはどうすればよいか」を研究するプログラムを進めているんじゃなかったかと。自分で実際に造って飛ばしてみないと、分からないことはいろいろあるはずだから。
それを、いきなりステルス国産戦闘機開発論に飛躍させてみたり、実証機が次世代新型戦闘機のベースだと勘違いしてみたり、というのでは、なんだかなぁ。空中戦に入る前の段階として、指揮・統制・通信・情報・監視・識別・目標捕捉がきちんとできていないことには、仕事にならない。ちょっとは C4ISR とか ISTAR とか RSTA とかいう話にも目を向けてみようよと。
これは対艦弾道弾でも同じことで、最初にターゲティングがちゃんとできていないと、弾道弾を撃ち込んでも海中にゴミを撒くだけの結果になってしまう。直撃ができなくても核弾頭があれば、という乱暴な意見があるけれども、それとて相当に威力が大きい核弾頭がなければ、広い洋上の一点である空母 (しかも動き回っている) を破壊できますかどうか。
ターゲティングと少し関連する話で。
以前に「エアワールド」誌で岡部いさくさんと対談したときに話したことで、ステルス機って基本的には有視界の格闘戦は避けるものなんじゃないか、というのがある。だって、どんなに優れたステルス機でも、Mk.I アイボールが相手では話が違うのだから。
レーダーに映りにくい (= レーダー探知を避けやすい) ところにステルス機の意味があるので、有視界の範囲内に突っ込むのは自分で自分のメリットをなくすことであり、一種の戦術的自爆。視程範囲外から AAM を放ってケリをつけるのが、ステルス機にとっての正しい空中戦のあり方ではないかと思うのだけれど。
となれば、それに対抗するにはどうすればいいか、「こちらもステルス機」という考えでいいのか、それより先に、まずは相手のステルス機をできるだけ早く見つけ出す手段を確立することが必要なのでは、という流れになるのが自然じゃないのかなあ ? それができれば、相手を (できれば避けたい) 有視界の空中戦に引きずり込める可能性だって出てくるかもしれないし。
結局、何を相手にするのであっても、相手を叩くにはターゲティングから始まるのに、その話を無視して○○国が△△を持っているから、対抗して我が国も△△を持たなければならない」というプラットフォーム セントリックな考え方に終始するのは、あまり賢明ではないんじゃなかろうか。なんてことを考えてしまった次第。それでは、子供が新しい玩具を欲しがるのと変わらない。
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