Opinion : うまく行く革命・うまく行かない革命 (2011/2/14)
 

先日に blog に書いたように、「日本人が知らない『アフリカ 53 ヵ国』のすべて」という本を読むと、改めて「アフリカ諸国では内乱・クーデター・革命・富の偏在などの問題がお約束」であることを再確認してゲンナリしてしまう。

特にアフリカの話に限定しなくても、「特定の一族・部族・組織による排他的独裁体制」「それに付随する、社会的・経済的利益の極端な偏在」「反対勢力に対する強権的弾圧」といった問題を抱える、困ったちゃんな国家はあちこちにある。

ここでいう独裁とは、権力が交代するメカニズムがないという意味。また、「極端な富の偏在」とは、社会的通念の範囲内で極端な、という意味 (完全に偏在がない状態というのは実現不可能だろうし、閾値をどこに置くかでモメそうだけれど)。

そうすると、かかる状況に不満を持つ市民が立ち上がるだとか、あるいはそれがもっと組織化されてカリスマ的指導者の下で「○○人民戦線」「△△解放運動」とかいう類の組織が出現、革命を起こして体制転覆を図る、というのもまたお約束。

ところがどういうわけか、革命によってできた新体制は往々にして自分が倒した相手と同じ轍を踏んでしまい、また革命によって倒されるもの。また、最初は善政を敷いていたものが何かの拍子に道を踏み外して、自分が倒した相手と同じ穴の狢になることもある。ときには、もっと悪くなることも。

革命を起こす側が「自分が富を分捕ってうまい汁を吸いたいから」という動機なら、それが無限ループにつながるのは分かる。ところが、いわゆる「民衆の手になる自然発生的な革命」でも、すんなり理想的な状況になるとは限らない。それどころか、むしろ状況が悪化することもある。なんでやねん。


単純に「とにかく今の体制さえ倒せば悪いことはなくなるはず」と思い込んでしまい、期待ばかりがパンパンに膨らんでしまえば、そりゃうまく行かないのは当たり前。物事、そんなに単純にはできていない。旧体制からも取り込めるものは取り込んで活用するぐらいの腹がないとダメなのだろうけれど、そういうことをやれる革命家ってあまりいないと思う。

相矛盾するさまざまな要求が入り乱れる中でバランス感覚を発揮しつつ、妥協を図りつつ、お手玉のようにさばいていくよう求められるのが現実。誰か特定の勢力の言い分だけを容れていたら、他のところから反発を買ってグダグダになるのは自明の理。国政に限らず、組織運営ってそういうもの。

だから、革命による体制変換が生じたときに旧体制の全面否定に走ってしまうのは失敗の元。旧体制時代の人材をみんなパージしたり、旧体制下で恩恵を受けていたと思われる人から資産を召し上げたり追放したり、旧体制下の政策を卓袱台返しして全部ひっくり返したり、なんてことをやってしまうと、ベクトルの向きが変わるだけで同じことの繰り返し。特に革命による政権転覆では "敵" の残滓を一掃しようとして、ついつい排除の誘惑に駆られるものだけれど。

以前にもどこかで書いたように、往々にして「優れた反体制活動家 ≠ 優れた政治指導者」という図式が成立する。反体制活動家は同志を糾合して既存のものを壊すのが仕事だけれど、政治指導者はバランス感覚を発揮しながら新しいものを作り上げていくのが仕事で、求められる資質が全然違うと思うから。それが分かっていれば、革命を起こす時点で後のことまで考えて、新体制を誰か別の者に委ねる選択肢もあるはず。でも、そんな念の入った革命、過去にどれだけありましたやら。

じゃあ、その革命家すらいなかったらどうなるのか。誰かリーダーが同志を糾合して起こした組織的なものではなくて、なんとなく自然発生的に反体制活動が盛り上がったとか、誰かがクチコミとかラジオとか SNS (笑) とかいった手段で焚きつけて反体制運動を煽ったとか、とにかく明確な司令塔がいない状態の場合。

その場合でも、とりあえず体制転覆に成功すれば「悪い体制が壊れた、バンザーイ」となるけれども、その先がいけない。えてして、壊した後が続かなくて力の空白を作ってしまい、それにつけ込んだ別の悪党がのさばるとか、外敵が入り込んできてグチャグチャになるとか、そんなパターンになりそう。壊した後の再建には、相応の組織力とリーダーシップと人徳と識見が必要であるが故に。

力の空白や混乱が生じたときに、誰かがギャップフィラーが出てくればいいけれども、ギャップフィラーのつもりだったものがそのまま居座るとか、そもそもギャップフィラーのような顔をした悪党だったとかいう事例の方が多そう。国連あたりが介入して国民参加の選挙を実施するところまでこぎ着けたとしても、当事者がその結果を受け入れないと、直近の事例だと某コートジボワールみたいなことになってしまう。そうなれば、また元の木阿弥。


つまり、革命を起こして既存の体制を潰すだけではダメだし、その後で排他的になって革命勢力の理念実現や利益だけ考えるようになってしまってもダメ。現実的な対応と、敵対勢力まで取り込もうというぐらいの覚悟がないと、本当に好ましい状況を作り出すための土台ってできないのではないか、なんてことを考えた次第。

でも、革命家っていう商売はえてして "理想に燃えて、理想と現実のギャップに悲憤慷慨した結果としてなるもの" だから、なかなかそういう展開にはならない。むしろ、理想を実現しようとして新たなフリクションを引き起こすのがオチ。まして、率いる革命家すらいなくて、壊すだけ壊して「後は野となれ山となれ」「誰かがなんとかしてくれる」な革命だと、元の木阿弥どころか、単にカオスを作りだして終わりという可能性が高くなりそうで怖い。

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