Opinion : 強さの誇示も、やり方を間違えると… (2011/2/21)
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いつだったか、中国製戦車の写真を某雑誌で見かけて、思わず苦笑したことがある。
戦車の公表写真というと、カタログ写真っぽく綺麗な状態で佇んでいる写真か、あるいは荒れ地や泥濘の中を突っ走っている写真が通り相場だが、問題の写真がどんなものだったかというと、「戦車から歩兵がワラワラと左右に飛び降りている瞬間の写真」だった。これは苦笑せざるを得ない。
なぜかといえば、そもそもタンク デサントなんて流行らないじゃないかと。戦車の上にむき出しで歩兵が乗っていたら、機関銃や小銃で掃射されるだけでアウトである。戦車自体は、その程度ならビクともしないだろうけれど。つまり、目的地に到着して歩兵を降ろす前に血の雨が降るのはほぼ確実なわけで、そんな非現実的な写真を公表写真にするってどうなのよと。
もっとも、事情を知らない人が見れば勇ましそうに見えるし、それなりに示威効果はあるだろうけれど。これに限らず、共産国家や独裁国家がリリースする軍がらみの公表写真って往々にして、必要以上に「強そうに見せたがる」傾向があるように思える。
強そうに見せたがるといえば、他国から軍事力の行使を受ける可能性に直面した国、特に独裁国家において、急に「国産の "ぼくが作った超兵器" を誇示したがる法則」というのがある。
以前だと湾岸戦争直前のイラク、最近だとイランが典型例で、「ステルス性を備えた空飛ぶ船」とか「(F-5 を改造した) 双尾翼の最新世代戦闘機」とか「対艦弾道ミサイル」とか「(無人標的機を改造したようにしか見えない) 無人爆撃機」とかいうネタを次々に繰り出しては業界関係者の失笑を買い (?)、雑誌のネタを作ってくれている。そんなに JDW 誌の編集部はネタに困っていないと思うが。
しまいには、演習で弾道ミサイルをつるべ撃ちしている写真と称して、発射したミサイルをコピペして数を増やした写真までリリースしているのだから、もう、笑うしかない。おっと、画像いじりが得意な国というと、もっと近所にもあったような。
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もっとも、これも外から見るから失笑モノといえるので、外部からの情報が遮断されている自国民向けのアピール手段としてなら、それなりに有用性があることは認めざるを得ない。何も知らない人がいきなり、国営テレビのニュース番組か何かでそれらしい映像を見せられれば「おお、我が国の軍備ってすげえ」と思うだろうから。
では、なんだってまた、そんな笑いのネタを提供しているとしか思えないようなマネを真剣にやるのかといえば、とにかく自国の強さを誇示することで、軍事力を行使される事態を避けたいという願望があるのではないかと考えた。
そこで重要なのは「国産」「国内開発」というキーワード。輸入品では、輸出元に圧力をかけて供給を断たれる可能性が出てくるけれども、国産ならそういう手が通用しない、と思わせる効果につながる。だから、武力行使を思いとどまらせるためのネタとして使う超兵器は、国産品ということにしておかなければならない。真偽の程はともかくとして。
確かに、軍備の世界には抑止力という考え方がある。「○○国に手を出すと大変なことになるぞ」という考え方が結果として、○○国に対する武力行使を思いとどまらせて紛争の回避になるという意味で。
でも、それは「手を出すと大変なことになる」が本物だと認識してもらえた場合の話で、それがハリボテだったりフカシだったりすると見透かされてしまえば逆効果。抑止どころか「そんなに苦しい立場なのか」と足下を見られそうである。あくまで、地に足の着いた内容でなければ効果は見込めないのでは。
だから、どこの国の話であれ、「我が国で国産開発した無敵の超兵器」とかいう類のネタを出してきたときには、「ああ、武力行使につながるとまずいという "お家の事情があるのかも知れないなあ" と思いながら眺めてみる方が良いのかも知れない。しかも面白いことに、そういうときのフカシは往々にして、必要以上に大袈裟なモノである。
面白いことに、当該国が武力行使を思いとどまらせたいと思っている相手の国にとっても、この手のフカシは有用な存在といえる (こともある)。本当はフカシだと分かっていても、国内向けに誇大広告気味にアピールして「○○脅威論」を盛り上げたり、国から追加の予算をせしめたり戦力を増強したり、そこまで行かなくても削減を食い止めたり、といった効果を見込めるから。
なにも国家と武力の関係に限らず、個人レベルでも必要以上に自分を凄い人物、能力に秀でた人物に見せようとしていろいろなフカシに走る人はいる。それをニヤニヤしながら生暖かい視線で見守るのがよいのではないか、なんていうことを考えた次第。「○○国が画期的な超兵器を開発した、大変だ !」と騒ぐばかりが能じゃない。
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