Opinion : "棒に飛びかかる" だけの反対運動 (2011/4/18)
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その昔、某国の海軍士官が「我が軍の将校の頭脳は犬並みか ?」と怒ったことがあったとか。何が犬並みなのかというと、「犬に対して棒を振り回して脅かしてやると、犬は棒にばかり飛びかかり、その棒を振り回している人間の方は無視する」という趣旨なのだそうだ。
本当に犬がそういう挙動をとるのかどうかはともかく、目の前にある、噛みつきやすい相手に噛みつくことばかり考えて、肝心の目的を忘れてしまったり、どこかに置き去りにしてしまったり、というのはありがちな話。
なんて話を持ち出したのは、「週刊金曜日」が、原発の宣伝に協力した著名人 (実は、直接的に関わっていなくても標的にされている場合があるようだが) の晒し上げ、ブラックリスト作りをやらかしたと聞いたため。それ以外でも、似たような事態が起きていると聞く。
なんという不毛な後出しジャンケン。そもそも、そんなことをやって何か問題の解決になるんだろうか。「週刊金曜日のブラックリスト」にいかほどの影響力があるのか、という話はともかく。
まさに、冒頭で引き合いに出した「犬と棒」の話と一緒。原子力発電を推進するキャンペーンに協力した人 (先の話でいうと棒に相当する) に噛みついているだけで、原子力発電に頼らざるを得ない状況、推進せざるを得ない状況に対する答えを出すには、なにひとつとして役立っていない。
さらにいえば、そんなことをやったところで、代替エネルギー開発の促進にも、代替エネルギーにおける技術的ブレークスルー (そういうものがあるかどうかは別として) 実現にも、電力消費の削減にも、なにひとつとして役に立っていない。
それどころかむしろ、「反原発主義者って痛い人」「要するに、反原発運動がやりたかっただけで、国民の安全なんて二の次なのでは ?」という印象につながり、トータルで見てマイナスにつながる可能性の方が高い。まさしく、状況が見えていない典型例。
といったところで思い出したのが、いったんは自国を占領された後で戦争に逆転勝ちした際に、「戦争中に占領国に協力した奴を晒し上げて辱めを与えた」某国の話。それと似た類の話は、別の某国でもやっていたけれども、いずれにしても、あまり品の良くない鬱憤晴らしにしかならないと思う。
この手の行為って、やった当事者は、その瞬間にはスカッとするかも知れない。けれども、後になって利息付きでしっぺ返しされても知らないよ、と。そもそも、そうやって怨嗟の種を撒いたことが、後になってまた対立や戦争の遠因になることだってあるだろうに。
というかそもそも、「反原発運動」と「反戦運動」って層が重複していると思うのだけれど、今回のような八つ当たり的復讐と「戦争反対、みんな仲良く、問題は話し合いで解決を」って、まるで相容れないんじゃないのかなぁ ? どう見ても「平和的」な態度には見えないと思うのだけれどなぁ ?
百歩、いや百万歩譲って、「週刊金曜日」の暴挙にそれらしいロジックを無理やり与えるとすれば、「原子力発電の宣伝に出た著名人を晒し上げて叩けば、誰も原子力発電の宣伝に出なくなって、ゆくゆくは原子力発電の衰退につながるだろう」ということなのだろうか。
この推測が本当なら、それは一般的にいうところの「恐怖政治」と同じロジックなんじゃないかと。まるで平和的でもないし、無論、民主的でもないような。ま・さ・か、本当にこんなことを考えてたわけじゃないですよね ? & 週金関係者
そもそも、「地震が起きた」→「福島第一原発が災厄に見舞われた」と、最初と最後だけつないで話を始めるから収拾がつかなくなる。問題の切り分けから始めないと。そもそも、「地震の揺れ」に起因する事態と「地震によって発生した津波」に起因する事態と「その後のトラブル・判断ミス・操作ミスなど」に起因する事態を、きちんと切り分けで論じている人がどれだけいるだろう。
災厄に至った原因は何なのか、それが対応策を講じられる種類のものなのか否か。もしも対応策がなくて解決不可能な問題なのであれば、それを理由として原子力発電を止めることに正当性はあるのか。また、問題が技術的なものなのか、それ以外の分野に属するものなのか。さらに、原子力発電を止めたときにどういった問題があるのか。それに対してどういう解決策があるのか。自然エネルギーと簡単にいうけれども、それが現実的かつ実現可能な解決策なのか。クリーン エネルギーと称されるものが本当にクリーンなのか。
とかなんとか、実はさまざまな種類の問題が絡み合っている複雑な問題なのに、最初と最後だけくっつけて「地震国の日本に危険な原発は要らない」と煽って、それでいいのかと。原発さえ止めれば問題がすべて解決、しかもデメリットはない (少なくとも、原発を止めろと主張する人で、止めた場合のデメリットに言及している人って見たことがない) という主張を振りまくのは、ちと無責任に過ぎやしないかと。
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