Opinion : 大災害と現代文明の否定と (2011/6/13)
 

東北地方太平洋沖地震に限らず、大震災みたいな事件が起きる度に、現代文明を否定する言説が湧いて出るのは、なかなか興味深い現象だと思う。そして、事件のホトボリが冷める頃になるとその手の言説は消え去って、次にまた何か災害が起きると、同様の言説が再発する。時代は繰り返す。

具体的に例を挙げると、「モノの儚さを思い知った」「精神こそ大事」とかなんとか。新潟中越地震で新幹線が脱線したときにあった「スピードの追求はよろしくない」なんていうバリエーションもある。基本的には現代文明に対して否定的であり、昔の方が良かった、というスタンスのように見受けられる。

この「現代文明に対する否定的な見方」「昔の方が良かった、人間的だった (裏返せば、現代は人間的ではない)」と考えるのが好ましい、という考え方が存在する背景に、どんな心理があるのかなと思った。

そもそも、震災の被害を見てどうとかいうけれども、建物の倒壊が昔の震災と比べて少なかった件にしても、被災後の救援・復旧活動にしても、現代文明の恩恵を受けているのだということをお忘れか ? これも、地震学、あるいは建築・建設といった分野の進化という、ひとつの現代文明の所産だろうに。


そういえば、中国製毒入り冷凍餃子事件の後でしばらく、「手作り餃子」が持て囃された。これに限らず、「手作り」を売りにしている食い物屋のメニューはいろいろある。裏返せば、機械で大量生産するのは (均一な品質が得られるとか、コストが下がるとかいうメリットは無視して) 手作りに劣ると思っている人がいるから、そういう考えが出てくるのでは。
そういえば、チェーンの飲食店というだけで評価を下げる風潮もある。チェーン店でも大量生産でも、自分が気に入って美味しいと思えば問題ないだろうに。

原子力発電の代替として「火力」や「水力」ではなく、いきなり「風力」「太陽光」を持ち出すのも、「自然なもの」(正確には自然っぽく見えるもの、か) が素晴らしい、という心理があるのではないかと。

ひところ持て囃された「スローライフ」とか「LOHAS」にしても、結局のところ、バズワードで終わってしまった感がある。そんでもって、「スロー」つながりだと、「現代社会はスピード化しすぎて、追いまくられていて非人間的だ」という言説もある。でも、そうなると「人間的」ってどういうことなんだろう、と思う。

こんなことを書くと真っ赤になって怒る人が出そうだけれど、現代文明の悪口をいっていられるのは、さんざ現代文明の恩恵に与っているからこそ。まだ恩恵に与っていない人にとって話が違うのは、たとえば中国あたりの動向をみれば理解しやすい話。そういう立場の人にとっては、むしろ現代文明の所産から疎外されることの方が「非人間的」と映るのではないかと。

ローカル線で古い車両がノンビリ走っているのを見て「旅情を感じる」とかいうのは、速さや新しさといったメリットをすでに知っているからこそ、口にできる台詞。現代文明を「非人間的」と否定してみせるのも、それと同じではないのかなあと。

現代文明を否定して「昔の方が良かった」と発言する人に対して、「じゃあ電気を使うのを止めて家電製品全廃、照明はロウソクで済ませて、煮炊きはかまどでやって、水は井戸から汲んで、洗濯は桶と洗濯板で。当然ながら固定電話も携帯電話もインターネットも使うのを止める」なんていったら、逆上されること間違いなしだと思う。逆上しないで実践する勇者が、一人ぐらいいてもイイと思うけれど。


ただし面白いのは、この手の言説が出てきても、決して世の中がそっちの方向に進むわけではないこと。もしも、「非人間的なスピード化に反対」とか「工場生産・大量生産は良くないので手作りに回帰」とかいう主張が広範な支持を得ているのであれば、世の中がそういう方向に振れないのは変だ。

では、支持されないからフェードアウトしてしまうのか、それともフェードアウトするから支持されないのか。なんてツッコミを入れると、えてして「利権」とか「陰謀」とかいう言葉に逃げ道を見つけようとするもの。でも、それが通用するのは「支持されないからフェードアウトする」場合だけで、「フェードアウトするから支持されない」の理由にはならない。

とかなんとか、この手の「昔の方が良かった」的な言説の背景にある心理について思案してみた結果、これは一種の「ガス抜き」なんだろうなと思った。ガス抜きだから、実際にそういう方向に世の中を動かす必然性はなくて、そういう姿勢を示すところに意味があるのだろうなと。だから結果として、「現代文明への反省文」は災害直後だけで、後はフェードアウトして終わってしまう。

そもそも、単に時計の針を巻き戻せばいいなんていうのは、いわば懐古趣味の思考停止。文明の進化の方向に問題があるのなら、問題点を解決する、あるいは抑制する方向に軌道修正しながら進化を続けるのが筋ではないかと思うのだけれど、どうだろうか。

そもそも、「物質文明より精神が大事」とかなんとかいってみても、一方では「モノが売れないと経済が回らない」という現実もある。そして経済の足を引っ張るようなことばかりやっていると、結果として復興の足も引っ張るし、スローな生活を楽しむための経済的基盤も怪しくなる。

「ワークライフバランス」だって同じこと。バランスがどうとかいえるのは、仕事の比重を落としても "食える" 人の話で、日々の生活を支えるために必死になっている人にとっては、ワークライフバランスもヘッタクレもあったもんじゃない。自分だって、フリーになった当初の何年かは仕事の基盤固めに必死になっていて、他のことはずいぶんと切り捨てていたものだし。

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