Opinion : 余裕を持つことの意味 (2011/7/11)
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昔、昔、その昔、花森安治氏が「暮しの手帖」で、「買い置きのすすめ」という記事を載せていたのを読んだことがある。意味はタイトルの通りだが、第一次石油ショックの後で発生した「買いだめ」を意識した内容だったかと記憶する。じゃあ、「買いだめ」と「買い置き」の違いって何よ、という話になるのだが…
「○○が足りないらしい」と聞いて慌てて買いに走り、手当り次第に買い込んで目の前に積み上げて安心するのが「買いだめ」
平素からストックを用意して、使用中のものがなくなったら入れ替えた上でストックを補充するのが「買い置き」
ということになろうか。日常的に消費・消耗していくものは、多少なりともストックがあれば、使い尽くしたときでも安心感がある。拙宅でも、たいていのものはそうやってサイクルを回している。(と書いている一方で、実は歯ブラシの買い置きが底をついているのに補充し忘れていたのは秘密)
その「安心感」とは、いってみれば「なくなっても直ちに補充できる」という心理的余裕なのだろうと思われる。ただし、どの程度のストックがあれば安心できるか、余裕を持てるかは、平素の消費ペースやモノの入手性に依存するので、一概にはいえないけれど。
当然ながら、代替が効かないもの・代替が効きにくいものや、入手性が悪いもの、消費ペースが速いものはストックも多めに持ちたい、という話になる。自分みたいに小食の人間が一人だけいるところと、育ち盛りの子供が何人もいる家庭では、持つべき米のストックの適正量って何倍も違うよね、とかなんとか。
なにしろ拙宅では、米を 5kg 単位で買うと延々となくならないので、2kg 単位でしか買えないというぐらいのもんである。
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逆に、ストックしすぎても弊害が生じるものがある。たとえば、生の食い物みたいに保存性が悪いものはストックしている間にダメになってしまう。それは極端すぎるけれども、たとえば意外な (?) ところでは灯油。だから、春になったら手持ちの灯油は使い尽くすようにして、「一夏を越した灯油」なんてものは出現しないようにしている。
ものによっては、そもそも物理的にストックが効かないこともあって、これがいちばん困る。そういうものは安定供給を期待するしかない。そこで問題なのは、「安定供給されるに決まってる」と思い込んでいたり、思い込みたがったりして、安定供給の前提条件がおつむの中から抜け去ってしまう人。
多分、そういう人ほど、いざ安定供給が実現できなくなったときにパニックに走ったり、ヒステリーを起こしたりして、不必要なまでに過剰な反応を示してしまうのではないかと。余裕をかましているようでいて、実はその余裕は砂上の楼閣だったという意味で。
じゃあ、どうすれば本当の余裕というか、安心感を得られるのか。それは多分、消費量に対するストック、あるいは供給余力の比率によるのではないかと思う。つまり、「使用費のペースがこれぐらいで、その状態で○日分を支えられるぐらいのストックがあれば OK」とか、「需要に対する供給余力が××パーセントぐらいあれば OK」とかいう調子で。
ともあれ、何をいいたいのかといえば、何事も可能な限り、余裕を確保しておくに越したことはないという話。本当は余裕をもたせておきたいのにギリギリの状態で回し続けた場合、ちょっとしたアクシデントで一気に破綻してしまう。
手近な話を引き合いに出すならば、月々の給料を全部使い切ってしまい、さらにボーナスについてもボーナス払いで先に買い物をしてしまっていたら ? という話。ことにフリーランス商売だと、月々のインカムがまったく安定していないので、とてもじゃないけどそんなマネは怖ろしくてできない。
それに、そういう余裕を平素から持つことが、いざというときのパニック買いや買い溜め騒動を回避する役にも立つと思うのだけれど。ところが、自分の身近なところだとそういう考え方が理解できても、身近でない話だと理解できない人が、どうも最近、目について仕方がないような。それでいいのか。
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