Opinion : 見えない脅威と見える脅威 (2011/10/3)
 

電車の車内 TV で放映している IBM の CM で「サプライチェーンの見える化を実現」(「可視化」って書けよ…) というフレーズが出てくるものがある。何もサプライチェーンに限らず、可視化って重要なファクターで、たとえば風洞実験では流れを可視化しないと仕事にならない。サプライチェーンと風洞試験を一緒くたにするなよ、と叱られそうだけど。

なんていう話はともかく。見えないものや現象よりも、見える、あるいは実際に体感できるものや現象の方が理解しやすいし、冷静に対処できる傾向があるのではないかと思う。

そういう意味では、この春から延々と続いている放射能騒ぎの一因には、対象や影響が見えない、あるいはストレートに体感できない点が影響しているのではないかなあと。もっとも、可視化できていたらそれはそれで、今の騒ぎでは済まずに大パニックが起きそうだけれど、一般論としては「見える・体感できる」問題の方が冷静に対処しやすいのではないか。


あ、いきなり結論を書いてしまったので、これで終わりか !? (をひ)

冒頭で「可視化」について言及したのに、その後で「見える、あるいは体感」と書いたのには理由がある。現象そのものが視覚的なものでなくても、違う意味で体感できることもあるから。たとえば地震がそれ。

地震の揺れは目に見えないけれど、揺れを身体で感じることはできるし、地震の揺れによって生じる影響や被害も体感できる。だから「地震が起きたらどういうことになるか」というのは理解しやすい部類に入るだろうし、それ故に、どういう対策、あるいは予防策が必要になるのかも分かりやすい。

ところが、放射性物質とか放射能とか放射線とかいったものは話が違うし、影響がいつ、どういった形で、どういうレベルで現れるのかも分かりにくい。しかも放射性物質が絡む問題だと、出てくる単位に馴染みが薄いだけに、余計に話が分かりにくい。

それが結果として疑心暗鬼や恐怖感の引き金になって、「福島から来たクルマは寄せ付けるな」とか「放射能がうつる」とかいう類の差別的行動に走らせるのではないかなあと。あるいは、先週に書いた話とも被るけれど、安い線量計を買ってきて手当たり次第に測定して回るようなパニック的行動につながるのかなと。そんなことを考えた。

形が見えない、体感しづらいという点では、いわゆるサイバー攻撃・サイバー防衛の問題もそう。どういうものか分からないから、それに便乗して恐怖感ばかりを煽る人がいるし、反対に、「大したことはない」と思い込みたがる人もいて、なかなか中庸を得たモノの考え方に結びつかない傾向があるように感じられる。

だからせめて、自分がサイバー防衛問題について書いたり喋ったりする場合については、できるだけ話を分かりやすく説明するとともに、両極端に走らず、いかに向き合うべきかを冷静に淡々と取り上げていきたいと。そういう抱負を持っている今日この頃。

もっとも、サイバー防衛分野に限らず、安全保障上の脅威そのものが、形が見えないし、体感もしづらい。それ故に、先のサイバー防衛の話と同じで、恐怖感ばかりを煽る人がいれば、「大したことはない」と思い込みたがる人もいる。

どちらにしても、具体的な攻撃行為が発動されて初めて、脅威が可視化され、場合によっては体感させられる羽目になる。でも、そうなってから手を打ったのでは遅いのであるが。そういうのを俗にドロナワという。


見えないもの、体感できないものほど理解が難しく、軽視、あるいは過度の恐怖感につながりやすいのだとしても、だからといって、何でもかんでも可視化できるわけではないし、体感できるわけでもないのが難しいところ。

多分、そういう場面で専門家と一般人の間に立って「通訳」をやって、見えないが故に分かりにくい話を可能な限り分かりやすく伝えるのも、報道に関わる人間の仕事なのであろうと。勝手にそういうことを考えつつ、仕事をやっていこうではないかと。そんなことを考えている次第。個人的には以前から、(いちいち公言して回っているわけではないけれど)「専門家と一般人の間の通訳」を標榜していることでもあるし。

もっとも、場合によっては可視化することが却って恐怖を煽る可能性もあるかもしれない。具体例が何かないかと思案したけれど、パッと思いつかなかったのが悔しい。そういう場面を判断して、適切にオブラートをかけて表現しつつ、どうやって向き合えばいいのかを模索していくのも、これまた仕事のうちかも。

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