Opinion : 無用の用 (2011/12/05)
 

デフレだとか格差社会だとかエコだとか、さらに最近では節電節電と騒々しいせいもあり、なんかこう、「世の中、縮こまってるよなあ」と思うことしきり。

なんていっていたら、東京モーターショーは結構混雑している様子。先週にもちょっと言及したトヨタの「86」なんかは、人がたくさん集まって押すな押すなの混雑みたいだし、そういう話を聞くと「まだ捨てたもんじゃないかも」と思った。(といっても、「86」も「BRZ」も、実際に売れてくれないことにはどうしようもないけど…)

それで思ったのは、「やっぱり、エコとか安上がりとかいうネタだけじゃ駄目なんじゃないの、人の気持ちは動かないんじゃないの」という話。いいかえれば、「パッと分かりやすい正義」ばかりを強調してもついて来る人は限られるんじゃないの、という話でもある。

もちろん、環境対策や経済性の追求が「どうでもいい」というわけではないので、お間違いのなきよう。問題は、そればかりが強調されて、反対するような内容の話、あるいは反対するような内容だと受け止められそうな話を「汚らわしいもの」としてヒステリックに忌避するようになったら駄目だろう、というところ。


「86」「BRZ」の話についていえば、スポーツカーというか、運転そのものを楽しむのが目的となるようなクルマの存在そのものを「無駄にガソリンを燃やして CO2 を増やしやがって」とかいって敵視するようになったら、それは世の中が窮屈すぎやしませんか、といってみたい。

昔みたいに湯水のようにガソリンを燃やしたり、排気ガスがクリーンでない状態のままでスポーツカーを復活させるというわけではないのだし。今の時代に適応しつつ、運転を楽しめるようなクルマができるのであれば、それって一種の「無用の用」というかなんというか、そういう存在になれるんじゃないかと。

ちょっと大げさなことを書くならば、「文化」に分類されるものの多くは、そういう「無用の用」の中から生まれたり、育ってきたりしたんじゃないのかなあと思う次第。別に、統計を取ってみたわけではないけれど。

それに、クルマに限った話ではないけれども、人の心をワクワク・ドキドキさせたり憧れの対象になったりするものがないと、世の中、なんとも無味乾燥で殺風景で面白みがないものになりそうだし。

サイエンスやスポーツの世界もそう。ことに宇宙開発なんかはそうだけれども、何か「夢」とか「ワクワク」とか「ドキドキ」とかいったものを振りまけるような話を通じて関心を集めて、ひいては人材を集めていかないと、結局のところ、その分野すべてが立ち枯れてしまう。

そのくせ、何かの分野で「世界一になった」とか「ノーベル賞をとった」とかいうときだけ大騒ぎする風潮、そろそろ止めにした方がいいと思うのだけれど。そうやって脚光を浴びるまで、「おカネの無駄」とかなんとかいって冷淡な扱いをしていた人が少なくないんじゃないの ? と疑ってしまうから。

「実用性がないもの = 不要なもの」「一般的な社会の風潮に反したもの = 不要なもの」と決め付けられたのでは、世の中が縮こまりすぎる。そうやって余裕をなくした個人や社会は、フレキシブルワイヤーではなくて、コチコチに硬直化したアングルバーになってしまうのではないかなあ ?

もっとも、そこで「どういうモノを出せばワクワク・ドキドキしてくれるのか」「どういうモノを出せば憧れの目で見られるのか」を模索するのは、それはそれで大変だし、時代が変わればモノも違ってくるわけだけれど。


柄にもなく「文化」なんてことをいいだしてしまったけれど。そこまで大袈裟な話にならなくても、そもそも「無用の用」に目を向ける余裕もない状態だと、視野狭窄や思考の硬直化といった危険性があるんじゃないか、と書いてみたい。

己が信じる正義の実現に向けて一直線… って、一見したところでは格好良さそうだけれども、そういう人が往々にして、余裕をなくし、教条的になり、おかしな方向に突っ走って企業や国の進路を誤ってしまうんじゃないのかなと。そんなことを思った今日この頃。

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