Opinion : 受け手と送り手の責任配分 (2012/1/9)
 

「食べログ」の「やらせレビュー問題」に関する報道に接したときに、「ああ、やっぱり」という印象しか出てこなかった。もちろん「やらせ」は良くないことだけれども、そればかりを一方的に糾弾するのにも違和感がある。

そもそも、不特定多数のユーザーが自由に投稿するのがクチコミというものなのだから、その中に「やらせ」が入り込むのを完全に阻止するのは不可能なんじゃないの、と思うわけで。


もちろん、自分も含めて本職の物書きが書く記事の中には、いわゆる記事体広告というものも含まれる。どれとはいわないけれども、記事体広告だらけの雑誌というものもある。一見したところでは普通の記事に見えるけれども、ページの端っこにそれらしい一言が、あるいはちょっとした広告欄が加わっていることで、それと知れる。

そこまで極端でなくても、書き手が取材先、あるいはスポンサー (あるいはその他のおカネの出所) に配慮するケースが皆無だなんてことは、とてもじゃないけどいえない。ようやく F-35 で決着した F-X にしても、選定中の段階では個人的な好みや予測は軽々しく口にしたり書いたりできない。

ちょっと自己弁護っぽく書いてしまえば、この辺はいわゆる「大人の事情」というやつである。

じゃあ、本職が書く記事はカネや立場に配慮したダメ記事ばかりで、一般ユーザーなどが書いたレビュー記事やクチコミの方が信頼できるのか。それは極論というもので、一般ユーザーには一般ユーザーなりの限界がある。どちらか一方が絶対的な正義で、他方が絶対的な悪、なんていうのは度が過ぎた極論というもの。

料理でもデジタル製品でも何でもそうだけれど、個人がレビューを書いたりクチコミを投稿したりするときには基本的に、自分が求めているもの、あるいは自分の好みが基準軸になる。それは自然なことだけれども、読み手がそのことを念頭に置いていないと、齟齬が生じる。

ところが、価値判断の基準や好み、ニーズといったものは人によって千差万別、それに対して商品やサービスを送り出す側は万人に合わせるなんて不可能なので、どこか特定のポジションに合わせるか、あるいは最大公約数的なものを送り出すことにならざるを得ない。

となれば、ときにはミスマッチなケースが出てくる事態は不可避といってよいわけで、そのことを無視して個人の好み・ニーズ・評価軸を極端にごり押しするのは、どうなんだろうと。あくまで程度問題であるし、送り出す側もできる限り高い水準を求めてもらいたいにしても。

たとえば食い物の話で、書き手が「○○はかくあらねばならぬ」という強固な信念 (?) を持っている状態でレビューやクチコミなどを書くと、その信念から外れているものはバサッと切り捨てられることが多い。食い物系の blog を初めとして、そんなタッチで書かれたものをチョイチョイ目にする。

自分の場合、「ベーグルはもっちりしていなければダメ」なんていうのがある。あまりストライクゾーンを狭めないように意識はしているものの、やはり「譲れない一線」というのはある (苦笑)

そういうのを見ると「ちょっと狭量じゃないの」と思うこともあるけれども、だからといって、そういう書き方を排除すべきではないし、そもそも不可能。ちょっとフォローすると、基準軸が明快であれば、それを基にして補正することができるので分かりやすいともいえる。むしろ、中立的・客観的というポーズをとっているのに実は違う、という方が困るかも。

ちょっと話が散らかりかけたけれども、要するに「ヤラセや度が過ぎた主観を完全に排除するのは不可能なのだから、受け手が適宜、補正することで対応するのが現実的」という話。それを無視して、一方的に送り手の側 (「食べログ」の場合には運営会社か) に完全性を要求するのは違うんじゃないか、無理筋じゃないか、と。それをいいたかった。


と、ここまで書いたところで、これは以前に書いた「自己責任」の話と似ているなと思った。個人のレベルでも分担できる範囲で責任を負い、その上で、個人の力ではどうにもならない部分は社会全体で分担する、という形にしないと。

それを、個人では何も分担しないで他者、あるいは社会に全部押しつけるようなことばかりやっていると、収拾がつかなくなる。

やらせ投稿などの話についていえば、受け手が不完全性を認識した上でちょっと頭を働かせて、他と比べて極端に (高い | 低い) 評価を切り捨てるとか、書き手の好みや立ち位置を考慮に入れて補正をかけたり、あるいは自分に合う投稿を拾い出したり、といった工夫をするぐらいのことをやってもバチは当たらないんじゃないかなあと。

もちろん、意図的なやらせ投稿が良くないことであるのは当然であるにしても、だからといって「自分達は一方的な被害者」みたいな顔をして運営会社に完全性を求めるのは、長い目で見ると、ユーザーレビューとかクチコミとかいったものが持つ、本来持つべき長所までつぶすことになるんじゃないかと。

過去にも、何か問題が生じた結果としてお上による規制、あるいは業界による自主規制が入ってがんじがらめになり、長所までつぶされてしまった事例、いろいろあると思う。事業者側にも努力してもらうとして、一方で受け手の側も賢くならないと、判断力がどんどん退化してしまうかも ?

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