Opinion : 鉄道路線のイメージアップと流行りモノ (2012/3/19)
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首都圏では都心を横断する形で相互乗り入れ運転をやっている鉄道が多い。すると、都心より西側の路線に乗っていても、都心より東側の路線で使われている車両に遭遇することになるし、逆も同様。
そんな相互乗り入れによって実現する楽しみ (?) のひとつが、所属する会社ごとの車内の雰囲気の違い。といっても客ダネとか内装デザインとかいう話ではなくて、車内に掲出されている広告の違い。意外と、路線ごとに広告の内容や業種が違うように思える。
自分は広告業界の専門家ではないから推測になるけれど、「こういう層を標的にして出稿したい」という狙いが明確なら、ターゲットになったそうに属する人が多くいるであろう路線に広告を出すんじゃないかと思う。不特定多数・マス市場狙いなら話は違うだろうけれど。
となると、具体的な事例を挙げるのは差し控えるけれど、路線によっては「なんだかなあ」という業界、あるいは内容の広告が目立つケースも出てくる。でも、そういうのもひっくるめて鉄道路線のイメージ、想定している客ダネの反映ということなのだろうなと。
そういう路線・沿線のイメージって、時間をかけて熟成していくもので、一朝一夕に確立できるものではないんじゃないの ? となれば、現時点でのイメージがあまりよろしくないという場合に、それを短時間でパッと逆転、というかイメージチェンジするのは難しいんじゃないかと。
だから、「我が社の○○線のイメージがどうもよろしくない」「我が社の○○線の人気が上がらない」となったときに、即効性があって、かつ持続的な効果を発揮する特効薬なんてものは、まず存在しないんじゃないかと書いてみたい。たとえトレンディドラマ (死語 ?) の舞台になろうが、沿線に何かトレンディスポットが出現しようが、沿線の雰囲気や客ダネまでガラッと変わるわけではないから。
もちろん、ドラマだろうが沿線名所だろうが、何かイメージアップのきっかけになることはあるにしても、きっかけはあくまできっかけ。それを上手に活用する長期的なビジョンや戦略がなければ、結局のところ、トータルでのイメージアップにはならない。そこで、あまりにも見え透いたことをやってしまうと、却って「必死になっている感」ばかりが伝わってきて逆効果ではないのかな、と。
で、いったい何をいいたいのかといえば、もうお分かりの通り。「とうきょうスカイツリー駅」と「東武スカイツリーライン」の話である。
場所がどこにあるか分かりにくい、あるいは最寄り駅の知名度が低いということで駅を改称するのは、まだしも理解できる (押上と同様に副駅名でも済んだんじゃないかとは思うが)。他の沿線の観光地とリンクさせるためにも、特急列車を止めるのもいい。
でも、伊勢崎線の浅草〜東武動物公園間が「東武スカイツリーライン」? それはいかがなものかと。何が何でもそうしたいというのなら、せめて北千住ぐらいまでにしておけば良かったものを。第一、「東武スカイツリーライン」ってネーミング、まるで「粋」も「雅」も感じないのである。
正直な話、「スカイツリーがあるところまで電車一本で行けるから」という理由で東武沿線に住みたがる人が増えるか、東武鉄道のイメージアップになるか、という話になると、どうなんだろう。たいていの人にとっては、通勤先・通学先との位置関係や住環境、あるいは不動産の価格や家賃の方が、住む場所を決めるに際して、はるかに優先度が高い話なのでは。
それに、かつて宮脇俊三氏が書いていた。「東京の人はいつになっても東京タワーに登らないし、鶴見線に乗らない」って。電車一本でスカイツリーまで行けるからといって、それを実行するかどうかは別問題。いつでも行けると思うと、却って、いつになっても行かないものだったりしないのかと。
路線の看板を架け替えたぐらいでイメージアップになれば簡単だけれど、そんな簡単に変わるもんじゃない。逆もまた真なりで、東武伊勢崎線の終点が群馬県伊勢崎市だからといって、誰もが「伊勢崎オートに行く電車」だと思うわけじゃなかろうに。
南武線〜武蔵野線みたいに、それこそ沿線がギャンブル施設だらけという路線が存在するけれども、ギャンブル施設があるからイメージが下がる、というほど単純な話ではないのは、京王電鉄が立証済み (ぇ
流行りモノって捨てられるのも早いから、安直に乗っかるのは損。できた当初は押すな押すなの大賑わいだったのに、後で「あの混雑はどこへ ?」となったトレンディスポットは、探せばいくつも出てくると思うけれど。
だから、「安直に流行りモノに乗っかって、東武鉄道って軽い会社だなあ」「自社の歴史や路線にプライドってもんはないのか」といわれないためにも、今後にどういう手を打ってくるかが問題。駅名と路線の愛称設定だけで満足してしまったら、スカイツリーの開業人気が鎮静化して落ち着いた頃に、ガックリこないとも限らない。
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