Opinion : 自由化・規制緩和を取り巻くフェーズ (2012/5/21)
 

なんだか最近、「電力自由化」というキーワードが持て囃されている様子。

といったところで、「なにも電力業界に限らず他の業界でも、自由化、あるいは規制緩和という話が出ると発生するお決まりのパターンがあるんじゃないかなあ ?」という話を書いてみようと思った次第。


個人的には「基本的には自由競争に委ねて、規制は最低限にとどめるべき」という主義だけれども、それだけではいろいろ弊害が出てくることも承知しているつもり。往々にして、越えてはならない一線を越えてしまい、トラブルを起こしたり、人命がそこなわれたりするものだから。

ただ、意図的に越えてはならない一線を越えるケースと、「まだ大丈夫、まだ大丈夫」といっているうちにいつの間にか閾値を超えて破局に至るケースがあると思われる。前者の場合には当然ながら断罪されてしかるべきだけれども、後者の場合、果たして当事者だけを断罪して済む問題なのかどうかは分からない。それはそれとして。

たいていの場合、規制緩和とか自由化とかいう話が出てくるのは、「価格やサービスの面で不満があるのに、独占や規制のせいで改善されない」という話が発端ではないかと。それが正しいかどうかはともかく、「改善されないのであれば状況を変えようではないか」ということで規制緩和や自由化という話が出てくる。その場合、規制する側、あるいは既存の独占的立場にある側が、とりあえずスケープゴートとして叩かれる (フェーズ 1)。

そして、規制緩和や自由化が実現すると、新たなプレーヤーが参入してくる。それによって価格低下、あるいはサービス品質などの向上が見られると、「自由化の成果」「規制緩和の成果」といって万歳することになる (フェーズ 2)。

ところが規制緩和や自由化は必然的に競争の激化を伴うものだから、プレーヤーは他のプレーヤーを蹴落とそうとして必死になる。そこでどういう形の競争になるかが問題で、特に単純な価格競争になってしまった場合には、えてして体力勝負の消耗戦になる (フェーズ 3a)。もちろん、規制緩和や自由化がうまくいって、当初の目論見通りになることもある (フェーズ 3b)。

ところが、価格競争などの消耗戦に疲れて、受容可能な価格とコストの間でバランスを取り、程々の落としどころに落ち着けばいいけれども (フェーズ 4a)、必ずそうなるとは限らない。ときには、他のプレーヤーが脱落するまで際限のない消耗戦が続くかもしれない。終わってみたら、もっとも体力があった誰かさんだけが生き残り、元の独占状態に逆戻り、なんていうことも起こり得る (フェーズ 4b)。

また、業種によってはプレーヤーがつぶれるとかいう話にとどまらず、人命がそこなわれることもある。直近の事例だと、ツアーバス業界は、このフェーズに突っ込んでしまっている、といえるかもしれない。

ともあれ、そうやって自由化・規制緩和の弊害が出てくると、初めの方で万歳していた話はどこへやら。一転して「行き過ぎた自由化」「行き過ぎた規制緩和」なんて言い立てる人が出てきて、「国は何をやっていたんだ」とかなんとか文句をつけることになる。そういう場合、えてして「問題が生じた本来の原因」よりも「規制緩和が悪い」「自由化が悪い」「規制緩和をいいだした○○が悪い」という話に突っ走るもの。

すると、自由化・規制緩和と逆行する方向に振り子が振れる。ただし、その行き先には 2 種類あって、元の木阿弥になるか (フェーズ 5a)、規制と自由化の間で行ったり来たりしながら適切な落としどころに向けて収斂するか (フェーズ 5b)、ということになるのではないかと。

後者ならまだしも救いがあるけれど、前者では救われない。それこそもう、学習能力がないといわれても仕方がない。


で、何をいいたいのはといえば、多くの業界ではこれらのフェーズのどこかにいて、同じようなサイクルを繰り返しているのではないかなあという話。どこのフェーズにいるかで、振り子は「自由化・規制緩和礼賛」にも、「自由化・規制緩和批判」にも振れ得る。ことに価格をめぐる話だと、分かりやすい上に「低価格」はウケやすいキーワードだから、「礼賛」と「批判」が両極端に振れやすいかも。

そしておそらく、「自由化・規制緩和礼賛」で喝采していたような人ほど、ひとたび何か問題が発生すれば、前言をきれいさっぱり忘れ去って「自由化・規制緩和批判」に突っ走るものなのかもしれない。そして、「規制緩和で価格が低下して万歳」といっている人ほど、何かあれば「国は何をやっていたんだ」と言い出すのがオチだろうと。

もうひとつ、「自由化・規制緩和礼賛」のフェーズでは特に目立った発言をしていなくても、問題が発生したとき、あるいは自身の不遇の原因を規制緩和に押し付ける人もいる。ありがちな「小泉改革が諸悪の根源」みたいな形で。
(これは、改革の良し悪しとは別次元の問題。良し悪しを論じているのではなくて、分かりやすいターゲットに原因・責任を押し付けているだけだから)

それに、「自由化・規制緩和によって実現した価格低下」などが、実は新規参入プレーヤーへの優遇措置、あるいは既存プレーヤーによる何らかの「見えない負担」によって初めて成り立っていた、ということもあり得る。その場合、そういう前提が消滅するとどうなるか。なんてことを考えてみる必要があるのでは。

そんなこんなで、「礼賛」フェーズで調子に乗っかっている人ほど、割り引いてみる必要があるかもしれませんよ。というところで、今週はこの辺で。

そういえば、物書き業界は参入も退出も自由で、許認可も届出も必要ないし、公定ギャラなんてものもない。それでも、著作権法を筆頭として、なにがしかの規制や保護の対象になっているのは間違いなさそう。よその業界でも、程度の差はあれ、似たようなものかもしれない。

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