Opinion : よろしい、ならば戦争だ… ? (2012/6/25)
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先週、トルコ空軍機 (RF-4 偵察機) が、シリア軍の防空部隊に撃墜される事件が発生した。後になってトルコ側が、当該機がシリアの領空に侵入していたことを認めたようで、これではトルコ側が一方的に自国を被害者にするのは難しい。一方のシリア側にしても、これ以上、周囲に敵を増やしたくはないところ。
ところが、今回の件でも、あるいはその他の「撃墜事件」や「撃沈事件」でも、何か起きるとすぐに「これで戦争になるのでは」といいだす人がいる。「そんな簡単にいうな」と突っ込んでおきたい。
シリアとイランが親密な関係にあるのは周知の話だけれども、そのイランの核開発疑惑について、トルコがどういう立ち位置を取っているかを無視するのはどうかと思う。もしもトルコがシリアに正面から喧嘩を売れば、シリアのお仲間であるイランとの関係が悪化するのは避けられない。そうなると、騒ぎが "延焼" して、トルコの周囲は敵だらけになる。トルコがそこまで賭け金を吊り上げるだろうか ?
それに、NATO 加盟国のトルコがシリアに手を出したら、シリアの後ろ盾であるロシアが黙っていないだろうし、それで NATO とロシアの関係が悪化したら… と考えれば、「NATO が協議を召集 = 即・軍事行動発令」というのは短絡的過ぎやしないかと。
偶発的なのか意図的なのかは別として、交戦状態にない国のあいだで「航空機を撃ち落とした事件」「艦戦を撃沈した事件」「兵士や市民を殺害した事件」というのは、悲しいことに少なからず発生している。「交戦状態にない」といっても、友好国・同盟国同士の場合もあれば、敵対・対立関係にあって緊張感がある国同士の場合もある。
実のところ、友好国・同盟国同士でも、何かの事件をきっかけにして関係が壊れることはあるし (最近の事例だと、イスラエルとトルコ)、反対に、敵対・対立関係にある国同士でも事件が戦争に発展するとは限らない。だから、撃墜事件であれ撃沈事件であれ、そんな簡単に「よろしい、ならば戦争だ」といって軍事的報復に出ると思うのは、ちと単純すぎ。過去に日本が関わった事例では、パネー号事件がある。
もしも、事件をきっかけにして「戦争になる様子が見てみたい」なんて考えからその手の発言が出てくるのであれば、それはおおいに反省していただきたいところである。
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軍人の生命が民間人と比べて軽いというつもりは毛頭ないけれども、「撃墜事件」や「撃沈事件」でヒートアップしやすいのは、どちらかというと民間人がたくさん犠牲になったケース。でも、それが必ず戦争による報復につながったわけではない。
大韓航空機撃墜事件を筆頭にして、旅客機が撃墜されて数百名単位の犠牲者が出たケースはいくつかあるけれども、その後で当事国同士が戦争になったか ? と考えてみれば、すぐ分かる話。もちろん、一方では客船撃沈事件が戦争の引き金を引いた事例もあるけれども、それについては後で改めて考察するので、ちょっと待って。
それに、敵対関係・対立関係にある国同士であっても、ことに外交の世界では、テンションを上げ過ぎないようにする配慮が出てくるもの。
たとえば、A 国がライバル関係にある B 国を威嚇する目的でプレゼンスを強化したり、御近所で演習をやって見せたりすることがあっても、表向きの説明は「定例の演習である」「特定の国を標的としたものではない」とやるのが典型例。こうやって、必要以上に事態がエスカレートするのを防いでいる。
外交の世界において、軍事力による抑止は重要だけれども、「イザとなれば本気でやるぞ」と思わせるギリギリのところでブレーキをかけるのが、一種のルール。それを踏み越えて本当に花火を上げてしまうのは、「よほどのこと」。通常は、そのギリギリのところで最悪の事態 (= 戦争) を回避しつつ、できるだけ自国に有利な落としどころを求めて駆け引きをすることの方が多いんじゃないかと。
では、その「よほどのこと」って何だろう。
それはおそらく、「もともと、いつ戦争になってもおかしくないところまで緊張関係がエスカレートしている」「そのうち片方、あるいは双方の当事者が、戦争になれば自国が勝てると思っている」という条件がすでに存在していて、そこにダメ押しの燃料として「撃墜事件」「撃沈事件」といった話が投下された場合ではないかと。
そこで、国民がヒートアップして政府を突き上げて、政府がそれを抑えきれなくなる、あるいは従わざるを得ない状況になると、結果的に戦争に向けて走らざるを得なくなる、というのはありそうな話。
また、できるだけ自国に有利な結論を引き出そうとして、言葉の応酬の過程で賭け金を吊り上げているうちに、計算違いや誤解が原因で一線を越えてしまう場面も考えられる。今回のトルコとシリアの場合、これが危惧されるところ。
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