Opinion : 節電とケチ電 (2012/7/9)
 

小学生のときの道徳の教科書で「電気の節約」に関する話が出てきた記憶がある。不要な電力消費を抑えるのは「電気の節約」だけれども、本来なら必要とされるもの、ないと別の弊害が生じるようなところまで電力消費をけちるのは「節約」ではない、という趣旨だったはず。

で。家電量販店の店頭で「今年の夏は未曾有の電力危機、省エネ家電で節電を」と電気を使って宣伝しているのを見ると、なんだか妙な気分になるのだけれど、それはともかく。


なにも節電に限ったことではなくて、たとえばダイエットにも似た傾向がありそうだと思うのは、「減らす」こと自体が目的、あるいは快感になってしまい、見境がなくなりかねないこと。

もちろん、「無駄」の定義は人それぞれであるにしても。身近なところでは個人の健康、スケールが大きいところでは企業や国の経済活動に関わるところまで、なにがしかのダメージを与えるようなところまで電力消費を抑えさせるのは、もはや「節電」の領域を逸脱しているんじゃないかと。

たとえば、冷房の設定温度を若干上げるのは「節電」でも、人間や機械の耐久限度を超える、あるいは限度を超えかねないところまで温度を上げるのは、果たして「節電」といえるのだろうか。疑問だ。

そうやって無理に無理を重ねても、長続きしないだろうし、いずれはどこかで破綻するのではないか ? それで利息を付けて反動が来てしまい、元よりも悪い状態になったら笑えない。

そういえば拙宅では過去に何回か、暑さにやられたのか、夏場に NAS (Network Attached Storage) が頓死したことがある。結局、発熱が少ない Atom マシンに 2.5in HDD を組み合わせた自宅サーバにしてからはノートラブルだけれど、何かあると怖いので、最低でも週に一度はフルバックアップをとるようにしている。おっと、閑話休題。

雑誌や Web の記事で「節約特集」が人気を博するぐらいだから、そういう特集にパッと飛びつき、日頃から「安いものは、安いものは」と目を血走らせているような人だったら、後先のことを考えない電力消費低減に走りそうではないか、と思える。この手の人が「安いガソリンを求めて遠方のガススタまで遠征」「スーパーでは閉店間際の見切り品ばかり買う」とやるのもありそうな話。

そして、毎月の検針結果を見て数字の動向に一喜一憂、「来月はもっと減らしてみせる」とまなじりを決してしまい、そのためにどんな犠牲が出てもお構いなし。そんなことになったら、もう「節電」ではなくて「ケチ電」ではないのかと。

さらに暴走すると、自分の家の中だけではおさまらず、「あそこのうちはエアコンを稼働させて節電に協力しない非国民だ」と騒ぎ立てて回るとかなんとか、いつぞやの国防婦人会の小母さんみたいになりそうである。

そもそも、節電で重要なのはピークの引き下げで、単に電力消費のトータルさえ減ればいいってものでもないと思うのだけど。でも、ケチ電に走る人は、そんなことまで考えないと思う。偏見 ?

ちなみに、これを書いてみようと思ったきっかけは、某サイトに載っていた「節電暴走妻」の記事。実際にそういう人がいるかどうかはともかく、「いてもおかしくない」と思ったのである。その某サイトの想定読者層からいって、「節電暴走妻に虐げられる夫」という図式を前面に押し出すのは「ありそうな話」で、どこまで真に受けていいのかと判断に迷う部分はあったけれど。


それはそれとして。
節電がらみで何が癪に障るかといえば、節電がうまくいけばいくほど「現状でも電力は足りている」派に力を貸す結果になってしまうこと。実際には「もともと足りている」「無駄を省いた結果として足りている」「無理を重ねた結果として足りている」の間には大きな断絶があるけれど、「足りている」と主張する向きは結果しか見ないから、そんなこと気にしちゃいないのでは。

筋論からいえば、「足りている」とか「昔の生活に戻ればいい」と主張する人ほど、節電なり昔の生活なりを実践するべきだと思うわけだけれど。でも、そういう人に限って、現代文明のいいとこ取りをした上で「足りている」と主張していないかと。

だからというわけではないけれど、フツーの皆さんの場合には、節電はあくまで「無理のない範囲で」。無理に無理を重ねる節電、もといケチ電は長続きしないし、却って後々に弊害を残すだろうと思うから。

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