Opinion : 避けて通りたい宣伝手法、いろいろ (2012/8/13)
 

実は別のネタを書いてあったけれど、それはもうちょっと「練りたい」ということで先送りにして。過去に書いたことと被る部分も少なくなさそうだけれど、ヒマネタをひとつ。


ネット生活でもリアルの生活でも、個人的にあまり首を突っ込まないで、避けて通るようにしているキーワードがいくつかある (イチャモンつけるときは別だけど)。

それが、「○○の陰謀」「隠されている真実」「裏情報」「裏に隠された事実」「マスコミが報じない○○」といった類の宣伝文句を冠したあれやこれや。正直な話、この手の宣伝文句をことごとくスルーするだけで、リアル生活も、それ以上にネット生活も、どんなにか平和になるだろうと思う (そこまでいうか)。

もちろん、公開されている情報、報じられている情報がすべて真実かどうかと問われれば、そうとは限らないだろうと思うけれど。でも、だからといって、上に挙げたような枕詞をことさらに強調しているあれやこれやが真実なのかといわれると、懐疑的になってしまう。

なるほど、「他人が知らないことを知っている」というのは、一種の優越感につながる。それは、「他人が持っていないレアものや限定品を持っている」というのと似ている。現に、ヤフオクなんかを見ていても、商品説明に「レアものです」なんて書く人がいるし。

あと、以前に書いた「マスコミ批判」の話に通じるところで、「自分が見たい、聞きたいと思っている情報が出回ってこない」というところに「隠されている〜」とか「報じられない〜」とかいう宣伝文句が付いた話が出てくると、飛びつきたくなるのも無理からぬところ。

そういう心理を全面的に否定はしないけれども、そういう心理につけ込んで商売をする人がいるということは頭に入れておかないと、コロッと騙されるのではないか。とはいいたい。だから、前述したような宣伝文句が出てくると、懐疑的な目で見てしまう。

なるほど、異なる立場からの意見、異なる視点からの見方、といったものは必要だけれども、それを前提にして物事を論じようとすると、いずれは自縄自縛になって自分の首を絞めかねない。

たとえば、いったん「裏読み」と題して話を始めたら、裏読みしないと周囲が許してくれない、なんてことになりがちだから。ときには、本人がサービス精神を発揮して、周囲の人や読者やファンを喜ばせることだけ考えて突っ走ってしまう場合もあるだろうけれど。

全部が全部そうだ、なんて断言してしまうと物言いが付きそうだけれども、殊更に「○○の陰謀」「隠されている真実」「裏情報」「裏に隠された事実」「マスコミが報じない○○」なんて言葉を強調して売り物にするのは、人の心理につけ込んで宣伝に利用しようとするケースの方が多いんじゃないの、という話。

現に、spam メールなんかでも「劇裏情報」なんてタイトルを冠したものがわんさとある。そういう書き方をすればひっかかる奴が一杯いるだろう、と思うからそうするのだろうし。それと同じこと。

逆に、自分が何かを書いたり売ったりするのに、この手の言葉を利用したい、という誘惑に駆られることもあるかも知れない。でも、それって一種の劇薬というか麻薬というか、「使ったら最後、もはやこれまで」という類のもの。だから、職業物書きとしては手を出してはいけない種類のものじゃないかと改めて思った。気をつけないと。

利用されやすいという点では、「子供」も似たようなものかも知れない。最近の流行だと「子供たちの未来のためにほげほげ」とかいう類のものが典型例。ありていにいえば、あれは「母親の心理につけ込んで利用しようとする宣伝手法」なのだし。


子供といえば。「まだ子供なのに、大人顔負けの○○ができる」という感じで話題になるケースが、ときどき出てくる。でも、これも一種の劇薬かも知れない。

注意しないといけないのは、そこで本人や周囲がのぼせ上がってしまうこと。その結果として、調子に乗って暴走してしまったり、さんざん利用されるだけされてポイッと捨てられたり、なんてことになりかねない。そこまで極端でなくても、「大人になればただの人」なんてパターンもある。

普通なら大人でないとやらないようなことを子供がやってみせると、それは話題性がある。でも、本人が成長して大人になったときに同じレベル・同じ内容のままだと、「できて当たり前」「やっても不思議はないこと」だから、話題性はなくなる。

そこのところに気付かないで、チヤホヤされて調子に乗ると、後で泣きを見そう。利用されるだけ利用された挙げ句にポイッと捨てられてから、「大人って、なんて汚いの」と涙をこぼしても遅い。

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