Opinion : F-35 をめぐる批判報道のボキャ貧 (2012/9/10)
 

防衛省の 2013 年度概算要求で、F-35A×2 機の調達経費を計上した際に、「1 機あたりの価格は 150 億円、2012 年度契約価格の 1.5 倍」という報道が出た。もちろん、批判的なトーンである。

低率初期生産 (LRIP : Low Rate Initial Production) のペースが落ちれば単価が上がる一因になるし (これは確か「航空情報」誌の拙稿でも指摘した)、生産ラインが拡大して参画する人や企業が増えれば学習曲線の足を引っ張るから、これも単価が上がる一因になる。

それに、国内でコンポーネント生産や組み立てを行うことになれば、ライセンス フィーの支払が発生するから、FMS (Foreign Military Sales) で完成機を輸入する場合とは数字が違ってくる。

条件が同じで単に価格が上がったのか、条件が違っているせいで価格が上がったのかは無視できない違いのはず。それを無視して表面的な数字の変動だけを報じるのは、単に価格上昇を F-35 導入に反対するための大義名分にしているだけ、といわれても仕方あるまい。

しかも、件の記事の末尾には「米側は 4 月、日本に納入する 42 機の総額について関連経費も含め約 8000 億円との推計を米議会に報告している」という記述があるのだが、これは機体だけでなく、サポート経費やスペアパーツなど、関連する諸々の物件・一式の数字である (DSCA の議会通告を見れば一目瞭然だ)。それを無視すれば、事情を知らない読み手は「機体だけで総額 8,000 億円」と勘違いするだろう。そこまで意図して書いたのかどうかは知らないが。


件の記事を書いた人が、もしも F-35A の価格が事情に関係なく変動しなければ、批判的な記事を何も書かなくなるのか。それも問題。「国がやることは何でも批判的に見なければならない、ぶっ叩かなければならない」という (ありがちな) ベクトルが根底にあるのなら、ネタは何でもよくて、価格だったりスケジュールの問題だったりするわけだけれど。

もしもそういうことになると、価格の上昇や納期の遅れを問題にすることにどれだけの意味があるのか、という話になる。名目なのだから、「誰でもスッと納得できるような批判材料があればよい」わけで、果たしてそれが「権力の監視」につながるのかどうか。

本来なすべきは、「F-35 という機体が日本の防衛に役立つ機体なのか」「そのために投じる費用が、得られる成果に見合ったものなのか」を論じることで、そのための材料として価格だとか納期だとか性能だとかいう問題があるのではないのかと。

それに、価格の上昇が発生したのであれば、「価格が上がった、怪しからん」で終わりにしないで、「どうして価格が上がったのか、それは必要なことだったのか」まで書いてこそ報道というものであろうに。

そういう話を避けているのか、それともできないのか、その辺の理由は知らないけれども、単に「分かりやすい」「書きやすい」という理由で価格上昇の話をダシにしてぶっ叩いているだけなら、それは言論人、報道人がとるべき態度として問題だと思う。「高くなってやーねー」という話だけなら、そこらの井戸端会議でもできる。

ライセンス生産、あるいは国内でのコンポーネント製造や最終組立実施、それに (もしもやるなら) 日本独自の仕様追加といった話もそう。これらも価格上昇やスケジュールの遅延につながり得る要素であるけれども、それが必要なのかどうかという議論なくして、是非を論じることはできないはず。

なにも戦闘機に限った話ではないけれども、すでにオリジナルの製造元で生産設備があるのに、それとは別に日本で生産設備を設けてライセンス生産をすれば高くつくのは当たり前の話。それを承知の上で、日本国内に生産基盤を維持することで支援基盤・産業基盤を維持する必要があるというなら、当局はそのことをキチッと説明して、それに対する報道人も (賛成するにしろ反対するにしろ) しかるべき識見をもってあたる。それが本来の姿ってものじゃあないのかと。


以前に書いた話を蒸し返すと、「安全を反対運動の大義名分にすると、それに対処する側は『安全です』といわざるを得なくなるし、そうなると安全性や安全対策に関するまっとうな議論がしにくくなる。それは結果として、安全性を既存する方向に働くのでは」。

それと同じことが、価格をめぐる議論にもいえるのでは。つまり、単に「高い」「高くなった」だけを大義名分にすると、それに対処する側は「高くありません」といわざるを得なくなる。それで健全な議論ができるのかと。

なにも当局に限った話ではなくて、軍事趣味人の間でも、国産装備を擁護したり持ち上げたりする際に、価格をダシにした批判に釣られて「海外製品と比べて高くありません !」という話にばかり力を入れる人がいる。
そうじゃないでしょ。それをいうなら「海外製品と比べて高いかもしれないけれど、それに見合ったメリットがあります !」という反論の仕方があってもいいのではないかと。

単なる価格議論に陥ると、たとえば何か新しい装備品を国内で開発する、あるいはライセンス生産するという場合に、当局が無理やり「国内開発の方が安い」「国内生産の方が安い」という話に持っていかざるを得ない場面が出てこないかと危惧する。それは結果として、本来あるべき「投下する費用と、支援体制や産業基盤維持といった便益の比較に関する議論」などをどこかに吹っ飛ばしてしまわないかと思うから。

だから、(なにも自衛隊の装備開発・調達に限った話ではないけれども) 批判的に報道する側がボキャ貧で、「誰でも分かりやすい価格の話だけしておけば OK、高くなったと批判しておけば OK」的な安直な態度に流れることは、将来、さまざまな形での損失につながるのではないかと。そう主張してみたい。

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