Opinion : 待てば自爆の日和あり ? (2012/10/8)
 

Twitter の TL を眺めていると、毎日のように朝から晩まで反原発派とやり合っている人がいる。MCAS 普天間への MV-22B 配備の件も同様。

個人的には、私的 Twitter 三原則のひとつ「議論しない」があるし (そもそも、Twitter ほど議論に向かないツールはない)、そんな時間があったら仕事などに使うべきだと思うし、そもそも「すでに結論が決まっている」相手を説得しようとするだけ時間の無駄。そんなこんなで、そういう流れには基本的に乗らないことにしている。

「相手の説得ではなくて、第三者に読ませるのが目的」という反論がありそうだけれど、それって、そういう名目を掲げつつも、当人がやり合うこと自体を楽しんでる側面もありはしないかと思えることが少なくない。

実は、「乗らないことにしている」理由がもう一つあって、「放っておけば相手が自壊するに違いない」と踏んでいるから。実際、福島第一原発がらみの反原発論にしても、MV-22B の一件にしても、反対運動がどんどん過激化・尖鋭化して見境をなくしているのは周知の通り。

そういう意味では、朝から晩まで「反中キャンペーン」「反韓キャンペーン」をやらずとも、昨今の両国の行状のせいで反発が高まってきているように見受けられるのも、同じことかも。


思うに、「反○○運動」にしても、中韓両国の「ゆすりたかり外交」が行き着いた先にしても、反発、憎悪、あるいは嫌悪といった感情のコントロールができなくなったため、という部分があるのかなと。特に最近になって感じることだけれども、怒り・反発・憎悪・嫌悪といった感情は、ほんと、コントロールするのが難しい。

そういえば、ニュース記事なんかに絡んで「怒りのツイート」とか「怒りの blog 投稿」をやる人は少なくなさそう。でも、「怒り」の感情をモロ出しにすることで本人はスッキリしたつもりでも、端から見ると痛々しさを感じることがある。なんて書くと、御本人はまた怒っちゃって、今度は怒りの感情がこちらに向いたりして ? (以下無限ループ)

怒り・反発・憎悪・嫌悪といった感情とまったく無縁で過ごすのは難しいし、自分だってこの手の感情を抱くことはあるけれども、それをうまいこといなして、乗り越えられるかどうか。そこで、人格というと大げさだけれども、何かこう、「問われる部分」があるのではないかと思う。

もっとも、そこでいなしたり、コントロールしたりできないからこそ、「反対運動の陶酔」に身を任せてしまうのかもしれない。そして、周囲からどう見られているか、周囲に受け入れられているかということが分からなくなって、結果、見境のつかない過激化・尖鋭化の道を突っ走ってしまうのではないか、と。

この仮説が正しければ、相手がその手の感情に乗っかっておかしな方向に突っ走るのを黙って見ていれば OK、その場で直ちに手を打とうとして焦る必要はなし、という考えも出てくる。自分で実を採りに行かなくても、実が勝手に落ちて来るというか、なんというか。

この手の話は、必死になって各種の「○○陰謀論」「実は○○はウソ論」を吹聴する人への対処にもいえるのかも知れない。もっとも、ことに陰謀論については自分も、本欄で何回も言及してしまっているから「自分で実を採りに行こうとした」ことになる。思うことと、それを実行することのギャップは大きい (苦笑)。


そんなこんなで何をいいたいのかといえば、「相手が憎悪や怒りの感情に突き動かされているのだと踏んだ場合には、その場でとにかく相手を叩き伏せようとしなくてもいい」「いずれは行くべき方向に行って自爆する、と考えてデンと構えてみたら」ということ。

そういう相手は多くの場合、何か分かりやすい「悪役」を設定して、手当たり次第に叩けそうなネタをほじくり出してきたり、「そいつがいなくなれば万事解決」といった類のインスタントな主張を展開したりするもの。でも、そんなやり方が長続きするわけではなくて、自分で墓穴を掘ったり、破綻を来したりする。

そして、憎悪の感情に根拠を与えるために、使えそうなネタなら真偽のほどに関係なく、次々と食いついてしまう。それがまた墓穴を掘る原因になる。自分も経験があるから分かる。

ところが、常識的な落としどころというのはたいていの場合に存在するから、多くの場合に過激な主張は無視される。それであれば、考えられる落としどころが自分の信じるところと同じなら「実が落ちてくるのを待つ」のもアリじゃないかなあと。そういう話。

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