Opinion : 予測を外すことに対する寛容性 (2013/2/18)
 

これを書いている 2013/2/17 現在、翌日の夜から「雪」の予報が出ている。1 月に大雪に見舞われた後で、何回か「雪」の予報が出たものの、自分の身辺で見る限りはいずれも「ハズレ」で、1 月のときみたいな大騒ぎにはなっていない模様。

ただし一方で、「雪」の予報が出たのを受けて電車の間引き運転を決めたら実際には雪にならず、天気予報の担当者や鉄道会社などが責められた、なんてことも起きている。でも、天気予報を出す側も、それを受けて運行計画を立てる側も、悪気があってやっているわけではないのだし、後付けの結果論で責め立てるのってどうなんだろう。


天気に限らず、予測とか予報とかいった業務は、いろいろな分野に存在している。ちょうど最近、欧米の航空宇宙・防衛関連大手が相次いで 2012 年度第四四半期、あるいは通期のの業績を発表していたけれども、この手の業績発表には「アナリストの予想と比べて利益が (高かった | 低かった)」といった類のコメントがつきもの。

つまり、業績予想をやっている人がいるわけだけれども、なぜかこの場合、予測を外したアナリストではなくて、予測を外れる結果を出した企業側に責めが行く傾向がないだろうか。おっと、それはそれとして。

予測・予想といえば、国の情報機関、あるいは軍の情報責任者なんていう仕事になると、一国の命運が関わってくるだけに、極めて責任が重い。そして、情報機関や情報参謀が予測を外したせいで、国の戦略や軍の作戦行動に支障をきたした事例は、きっといろいろある。もちろん、うまく行った事例もいろいろあるだろうけれど。

ただ、そこで予測・予想が外れたときに、周りの人間、特に上官が担当者を責め立ててばかりいたら、どうなるだろう。萎縮してしまい、集めたデータを正しく評価できないケースが出てこないだろうか。あるいは、上官や上層部が考えていることと合わない予測・予想を出すことを躊躇してしまわないだろうか。

たとえばの話、先に上層部や軍の中枢で「敵の本格的反攻は来年以降」という予測を先にやっていたときに、それを覆すような事象が起きたらどうするか。「まだ今年」のうちに敵がどこかで攻勢に出てきたときに、既存の予測の顔を立てて (?)「これは本格反攻ではない」という結論にしてしまうのか、それとも既存の予測と対立することになっても現実のデータに即して「これは本格反攻に違いない」と判断するのか。

多分、前者の方が上官は喜ぶだろうけれど、それで戦争に勝てるのか。というかそもそも、これは上官や情報担当者が「どっちを向いて仕事をしているか」という話になるのかもしれない。上官を喜ばせるための情報判断なのか、戦争に勝つための情報判断なのかという。

「雪」の天気予報も、なんとなく似たところがありそう。
予報が外れて大雪になったり空振りになったりしたせいで、担当者が「多分、このデータなら大した雪にはならないと思うが、外して文句をいわれるのはしんどいから下駄を履かせて…」とか、反対に「大雪になる可能性がありそうだけど、そんな予報を出しておいて、後で空振りに終わったら…」とかいうことになれば、それはもはや天気予報ではなくなってしまう。実際にそんなことが起きていることはないだろうけれど。

そういえば、何かの事件・事象に対して新聞やテレビからコメントを求められた「専門家」や「評論家」も、似たような立場といえそう。営業上の配慮から (?) 先方が求めている、あるいは先方が喜びそうなコメントに走ってしまうのか、自分の判断や信念を通すのか、といったところで。


煎じ詰めると、この手の話は「予測・予想が外れることに対する周囲の寛容さ」の問題なのかもしれない。

もちろん、担当者ができるだけ正確な予測・予想をするべく努力しなければならないのは当然のことだけれども、神様の仕事じゃないのだから、100% を目指していても 100% を達成できるとは限らない。100% の予測・予想を達成したければ、タイムマシンで先回りして見てこないといけない (こらこら)。

予測・予想が外れることがあっても、それで脊髄反射的に当人を責め立ててばかりいたら、却って長期的には害毒につながると思う。あまりにもハズレばかりというのであれば、それはさすがに人を代えた方がいいけれども、その判断は一度や二度ではできないのでは。

そういえば。第二次世界大戦中の某国の装甲艦だったと記憶しているが、乗組員が見張りについていた時に、ときどき「誤認報告」をすることがあったらしい。最近のネイビーではどうだか知らないけれども、鳥と飛行機を見間違えたり、夜光虫の群れを大上陸船団と誤認したり、といった類の話はいろいろある。

ただ、その装甲艦の場合、誤認報告した水兵のことを上官がいちいち責め立てることはせずに、「今回は運が悪かったということだ。次は間違えないように頑張れ」といっていたらしい。誤認報告かもしれないと思って報告を躊躇する方が、却ってよろしくない、という考え方に拠っていたようだ。

少なくとも、本人が正しい、あるいは正しいと思われるデータに基づいて最善の判断を正直に下そうとしている限りにおいては、その結果に対して、不必要に責め立てるべきではないという話。むしろ、恣意的判断・政治的判断・個人的願望・上司/上官/顧客受けなどといった要素が判断に入り込むことの方が、はるかに危険なのだから。

もっとも実際には、そこのところの判断や見極めが難しいのだけれど。

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