Opinion : 所謂撮り鉄がらみの事件に関する徒然 (2013/2/25)
 

どのネタで始めようかと思ったけれど、やはり「しなの鉄道の沿線で桜の木を切っちゃった撮り鉄」の話かなあと。そしてまたもや「徒然」シリーズで。

たまたま桜の木だったから切ることができてしまったけれど、これが鉄塔だったらどうしたのやら。なんて書くのはピント外れもいいところで、そもそも他人が植えて育てている木を切っちゃった時点で、器物損壊だといわれても仕方ない。自分は法律の専門家じゃないからよく分からないけれど、法的な扱いはどうなるんだろう ?

これは、「思い通りにいかない環境」だからといって、その環境を勝手に変えちゃうのはよくないだろうという話かなと。法的にどうであれ、倫理的には大問題だし、ますます撮り鉄さんへの世間の目が厳しくなる。以前にどこかで「鉈を持って襲ってきた人がいた」なんてニュースがあったけれど、それだって、そうさせるだけの事情はあったのだろうし。


なにも鉄道写真に限らず、思い通りにいかない環境があり、そのせいで「いい写真」にならないことはある。写真に限らず、環境に足を引っ張られるのはよくある話だし、お天気商売のスキーや登山なんていうのは、その最たるもの。楽しみにして、勢い込んで出かけたら「強風でリフト運転中止」なんていう事態は、多くのスキーヤーが経験しているのでは (私も何度かやられている)。

たまたま、冒頭の話では桜の木を切ることができてしまう状況だったから、ますます問題になった。でも、自分がどうあがいても対処できない環境的な制約だって多い。だから、何をするのであれ「与えられた環境の中で最善を尽くすか、違う切り口や楽しみ方を見つける」という姿勢でいる方が、気分がいいと思うのだけれど。

そこで「自分の理想」を頑固に押し切ろうとすると、環境の方を変えてしまえという話になり、ときには他人が植えた木を切っちゃったり、生えている草を刈り取り始めたり、フェンスに穴を開けちゃったり、ということになる。そういえば、私がときどき撮影に行く某踏切でも、横のフェンスに穴が開いている。誰の仕業だ ?

思い通りにいかない状況だからといって逆切れ気味だと思うのが昨今の中国政府の行状だけれども、話が大脱線するので、今回はその話はパス。

そもそも、いい写真を撮るということより先に、倫理的にどうなのか・その行為が外部の人間にどう映るかということを考えられない時点で、いかがなものかと。あくまでこちらは「場所や対象を借りて撮らせてもらっている」立場なわけだし。これは鉄道に限らず、飛行機でも何でも同じこと。

ただ、そういう話になると、ちょっと危惧させられることがある。それは何かというと、「やってはいけないこと原理主義者」みたいな人が出現して、「それは禁止だ」といって他人に食って掛かったり、自警団みたいになったりすること自体を目的にしてしまうケースが出てくるんじゃないかということ。


たとえば鉄道が対象であれば、「安全運行」「定時運行」「近隣住民や他の乗客の迷惑にならない」といったあたりが本来目指すべきところのはず。もちろん、それに加えて「一般的な社会常識に反すること」も NG になるわけで、器物損壊はそれかと。周囲の人ともめる原因になりやすいという点では、「航空祭の脚立」なんていうのも該当する ?

ただ、行為の内容や程度によって、いついかなる場合でも NG になる場合と、状況次第では (許容されるとまではいわないけれど) 黙認できる場合が出てくるかもしれない。そこで、状況に関係なく「やってはいけない」を振り回して他人に食って掛かり、物言いをつけること自体に正義の味方としての快感 (?) を求めてしまうのが、「やってはいけないこと原理主義者」かなと。

たとえば、運転士の目が眩むから「フラッシュ禁止」。これは走行中はいうに及ばず、停車中でも同様だし、状況に関係なく適用すべき話。敷地内への侵入 (三脚の脚を突っ込むのも含む) も同様で、たとえば以下の写真みたいなのはどう見ても NG じゃないかと。

ただ、「ホーム上での三脚」になるとどうだろう。もちろん、混んでいる駅のホームで三脚を立てるのは NG だし、倒れて列車に支障するようなギリギリの場所に立てるのも当然ながら NG。では、一日に数本しか列車が来ない、誰もいないローカル線の無人駅で、線路から十分に距離を置いて立てるのも NG なの ? といえば、人によって意見が分かれるかもしない。

つまりは、「やってはいけないこと」が、どうして「やってはいけないこと」なのかを正しく認識して、それが本来目的としていることを正しく理解した上で、閾値を自分で判断できるようにすること。それが重要なんじゃないかと。
どこの分野でも往々にして、「○○禁止」という規則ができた後で、規則ができた経緯を忘れ去って「規則を守らせること」が目的になるという変質はありそう。でも、それはややもすると、規則制定の本来の目的すらも危うくしかねないと思う。

もちろん、それ以前の問題として「社会通念上、一般論として NG」なことをやってはいけないのは、当然のことだけれど。なにも趣味がらみの話に限らず、たとえば新聞・テレビなどの取材だって同じなのでは。

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