Opinion : 初心者にありがちなことと定説と (2013/3/4)
 

Twitter で、「#にわかミリオタの陥りやすい勘違い」というハッシュタグが出現。それを見て、こんな嫌味な投稿をしてしまった。

このハッシュタグを見てハッスルしてしまい、怒涛の連続投稿 #にわかミリオタの陥りやすい勘違い

本当にそう思っているから書いたので、特に反省はしていないけれど。


勘定して統計を取ったわけではないので「パッと見の印象」だけれども、件のハッシュタグに対して寄せられた投稿を見ていると、目立つなあと思ったのが「定説否定形」。
定説といっても「ラ○フスペース」的な意味の「定説」ではなくて、一般的な用語としての「定説」。つまり、軍事・戦史などの世界で定説とされてきたことを信じ込んでしまうのが初心者で、それを否定する、という趣旨の投稿という話になる。

そもそも、どうして定説が定説足りえるのかといえば、特定の事象・事案に対してなにがしかの説得力のあるエビデンスを伴って先に出てきたものが、広く認められて定着するというのが基本かなと。ときには、「先出しの勝利」で、誰かが最初に主張した話がそのまま定着してしまう、というのもありそう。

ところが。確かにこの業界では、定説が後になってひっくり返されることがよくある。理由はいろいろあるだろうけれど、秘密指定解除によって新たな資料が出てきたとか、沈黙していた関係者の発言が出てきたとかなんとか、その他いろいろ。

そもそも国の安全保障や外交が絡む話なのだから、当初からあらゆる資料が開示されているとは限らないし、むしろそうでないことの方が多いかも ? となると、定説がひっくり返される可能性は低くない。

ただし問題は、それとの向き合い方かもしれない。つまり、どういう理由で「定説否定」に走るのかという話。

「真摯に真実の追及をやっていて、従来の定説をひっくり返すような新事実に遭遇した」ということもあれば、「個人的な思い入れの対象や信念に対して否定的な定説がまかり通っていたときに、その定説をひっくり返すような話に遭遇して欣喜雀躍」ということもありそう。そして、後者だとすると、それはちょいと考え込んでしまう。

個人的にも経験があるから分かるけれど、定説をひっくり返す主張を展開することには、一種の痛快感、優越感がついて回る。それが個人的な思い入れや信念を支えるものであれば、なおさら。ただしこれって、一種の麻薬のようなものかもしれない。

定説にしろ、その定説を否定することにしろ、需要があれば供給する人が出てくるのはお約束。誰が見ても否定のしようがないエビデンスによって定説、あるいは定説に対する反証が成り立つならまだしも、解釈次第でどちら側にも話を展開できそうなネタの場合には、収拾のつかない泥沼に陥る危険があるのでは。

たとえば、「○○は△△より強かった」とか「××作戦は成功した」「◆◆の戦闘は○○側の勝ち」とかいう類の話はモメそうである。航空機や艦艇や AFV といったプラットフォームの強弱論争なんていったら、条件設定次第の部分が少なくないだろうに、そこで強弱論争をやっても永遠の (?) 水掛け論。

戦闘の勝ち負けについていえば、戦略目的を達成できた方が勝ちだろ、と思うけれども、そうは思わない人もいる。たとえば、勝ち負け論争に死傷者数の比較を持ち込んで「○○より××の方が死傷者が多かったから、実は××ではなくて○○の勝ち」とやる事例、実際に存在するわけで。

あと、ことに軍事や外交が絡むと「政治的に正しい定説」「政治的に正しくない定説」なんてものまで出てくるから、そうなるともう始末が悪すぎる。


こういうこともあるから、「定説」との向き合い方って難しい。ことに個人的な思い入れは判断を狂わせる元だと思うので、仕事として軍事ネタを扱う身としては「個人的な思い入れは商売の邪魔」なんて暴言を吐いてしまうのだけれど。

もちろん、そこのところでバランスをとって上手に付き合うことができたり、個人的な思い入れを一種の「芸風」に昇華させたりできれば、また話は別。自分の場合、まだそこまでできていないと思われるので、意図的に個人的な思い入れは排除する方向で。

ただまあ、技術的な分野の話をやっている分には、まだしも「定説の解釈」でモメることは少なそうだから、そういう意味では気楽かも。

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