Opinion : 双務と片務 (2013/3/11)
 

昨日、blog で「個人的にスルーするネタ」のひとつとして「女性がドン引きする男性の○○」というのを挙げた。これに限らず、女性側が男性側に注文を付ける類の記事というのは、それこそもう「掃いて捨てるほど」ある。

そういえば、「男性側が女性側に注文を付ける記事」も、一応は存在するけれど、数は少なめだろうか ? 勘定した訳ではないから分からないけれど。

ともあれ、その「女性側が男性側に注文を付ける記事」の内容は玉石混交、千差万別だけれども、そこにはやはり微妙な「超えてはならない一線」というものがありそう。だから、その一線を超えると袋叩きに遭うケースも出てくる。

一線を越えた過去の例だと「トリュフ」があるし、最近の例だと「○○歳を超えても独身の男性には問題が…」も該当しそう。それ以外でも、似たような類の炎上ネタを投下した事例を探せば、いろいろ出てくると思われる。

その閾値は、「女性は優れていて男性はダメ」とか「男性は女性に無条件に仕えるべき」とか「男性は女性の言い分を無条件に受け入れるべき」とかいう視点を露骨に出しているかどうか、かもしれない。具体的に名前を挙げるのは差し控えるけれど、そういうノリで記事を書いていそうな人の心当たりは何人かある。


と、いきなり Kojii.net らしからぬ話からスタートしたけれども、これって早い話が「双務性」と「片務性」の話ではないかと思う。一方的に要求を突きつける状態が続くとか、一方が他方を露骨に (ときには餌をぶら下げながら) 見下し続けるとか、一方的に依存し続けるとか。そういう関係って結局のところ、長続きしないし、破綻の芽を抱えてるんじゃないかと。

それは個人同士の関係に限らず、企業同士でも、個人対企業でも、国対国でも、あるいは企業と国でも同じこと。デザイナーをタダで使おうとして叩かれた役所の話は初っ端から破綻したけれども、それも該当しそうだし、いわゆるブラック企業の話もそうかもしれない。それが、「あまりにも片務性の強い関係って、いつかは破綻するんじゃないの」という意味で、タイトルにつながる。

そういう意味では、尖閣問題を巡ってアメリカがどういう言動をとるかで日本の朝野が一喜一憂しているのも、なんだか似たところがあるように思える。少し前に「丸」の拙稿で書いたように、一方的に「助けてもらうことだけを期待する関係」では無理があるんじゃないのか、ということ。

そういう意味では、これから日米安保の関係が変わってくる可能性は低くないと思うし、「米軍が助けてくれるのか」という片務的な議論自体がナンセンス、ということになってもおかしくなさそう。あるべき姿は「日本に何ができるか、それに対してアメリカが何をするか」ではないかと。
もっと露骨な書き方をすれば「互いの世界戦略・生存戦略の中で、いかにして (一方的に利用するのではなくて) 相互に利用し合うか」ということ。

もちろん、双務性といっても、双方が持っているリソースなどが常に同等レベルとは限らないから、完全な対等にはならないのが普通。たとえば安全保障と軍事力の問題であれば、戦力の量や質、継戦能力などといったところで。

ただしそれでも、相互尊重・相互信頼であるとか、リソースが足りない側が「自分にできるだけのことはする」という姿勢を見せることが重要なのではないのか、と考える次第。それがあるとないとでは大違い。

冒頭の話についていえば、その「相互尊重」があまりにも欠けてるだろ、と思われるかどうかも、閾値を越えて「叩かれる記事」になるかどうかの境目なのかも。

身も蓋もないことを書いてしまえば、「いろいろ体裁のいい言葉を並べていても、結局は金持ちで、社会的体面が良くて、連れて歩いていて恥ずかしい思いをしない相手が欲しいだけなんだろ」と感じる人は存在しそう。それだからこそ「ただしイケメンに限る」なんて定型句が出てくるのでは ?


そういえば、何かある度に「国が、国が」という一方で「増税はことごとく反対 (自分じゃないところから取り立てろ)」なんて言い張るのも、一種の片務性じゃないかと考える次第。

と思ったら、なにも「福祉」とか「医療」とか「教育」に限らず、安全保障の世界でも似たような話はある。たとえば、自衛隊や海保の人員を増やせとか装備を増やせとかいう割には、財源のことを気にしていないのも、これまた片務的な考え方なのでは。

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