Opinion : 身の回りと全体像 (2013/4/8)
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意外とありがちかも知れないと思うのが、「自分にトバッチリが及んだから、政府、あるいは現政権の経済政策は間違い」という類の論法。最近だと、円の対ドル相場が円安側に振れているから、輸入品の価格は上がりがちだし、海外旅行も高くつくようになっている。「だからアベノミクスは間違いだ」。え ?
それ以外でも、「個人の身近なところでモノやサービスの値段が上がったから、政府の経済政策が間違ってる」なんていう類の話を「庶民感覚」と称して振りかざしている事例、ありがちではないかと思う次第。
でも、それって何か違うと思う。
そもそも冒頭で書いた為替の話からして、同じ個人の範囲内でも、得することと損することがある。海外旅行や個人輸入をする人なら円高の方が得だけれど、外貨預金を持っていれば円安の方が (円ベースでは) 得になる。といった具合。
もちろん、どちらの比重が高いかは人それぞれだから、ときには明確に「円高で得をする人」や「円高で損をする人」が出てくる。自分みたいな商売をしていると、海外の書籍や雑誌を買うことが結構あるから、これは円高の方が得。
でも、それだけの理由で「円高万歳、円安粉砕」なんてことはいわない。目に見えないところで、円安の恩恵を受けている部分があるかも知れないし。他の個人、あるいは企業でも同じだろうし、国全体で見ても同様。そもそも自分自身、過去には「ドル建てでおカネを受け取る仕組みになっていたため、円高で割を食った」なんて事例もあったわけだし。
となれば、個人の身の回りというローカルな範囲の、そのまた特定の分野における特定の事象だけを取り上げて「円安がいい」とか「円高がいい」とかいうことを論じてみてもキリがないし、誰もが同じようなことをやり始めたら収拾がつかなくなる。そこに「庶民感覚」という水戸黄門の印籠みたいな言葉を付け加えたところで、それは変わらない。そもそも「庶民感覚」が常に正義かどうか分からないだろうに。
そもそも、国の経済政策がお題ならば、問題は、国全体でみて経済が上向いているかどうか。そして、それが持続できるかどうか。
もちろん個人の場合と同様に、ひとつの国の中で得をする分野も損をする分野も出てくる。為替の話でいうと、同じ国の中で輸出も輸入もしているのだから、あちら立てればこちらが立たず。全部の分野が得をする経済政策なんて成り立たないのでは。
だから、問題にするべきは損得が生じた後のバッファや再分配をどうするかという話、ではないのかと思うのだけれど、どうだろう。
そもそも、国の全体として経済が上向かなければ、所得分配の元手だってできない。「自分以外の、誰かカネを持っていそうなところからカネを巻き上げて、それを自分の方に寄越せ」と虫のいい主張をしてみても、誰も彼もが同じことを言い出せば破綻するの。なのに、それを本気で主張する政党がいるから困ったもんだけど。
そういう意味では、しばらく前に某党の誰かさんが拙宅の近所で演説していたときの「これまでは経済発展第一だったが、今後は変えなければならない」も、なんか変だと思う。
福祉を充実させるにしろ、教育を充実させるにしろ、まず元手が要るわけで、それには経済の発展が欠かせない。経済を発展させるという前提の下で、それをどうやって実現するか、成果をどう分配するかを論じるべきではないかと。
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ともあれ、「自分がこうだから」「自分の身近なところではこうだから」という話を一般化してしまうのはありがちな話で、自分も同じ罠に落ちる可能性、あるいは落ちていることはありそう。現実には、「自分の周り」と「世間全般」がイコールとは限らないのだから、気をつけないと。
あと、上の話を書いていて再認識したのは、「人間、得をした話よりも損をした話の方が印象が強いのだろうなあ」ということ。そのことと、個人的な、あるいは身の回りのローカルな話を一般化してしまうことの相乗効果で、「自分が割を食う政策 = 良くない政策」という論調につながるのかなあ、なんてことを考えてしまった次第。
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